情けは人のためならず

介護, 未分類

先回、「三方一両損」の話を思い出した件を描きました。

というマイナスがあった?にも関わらず、「三方一両」のお話よりも後味が良い。

実際に、脳科学や心理学の領域で「人間に幸福感を感じさせる脳内物質」の研究によると

人間は「 他人の幸せを願う」ことや「寄付」、「分かち合う」といったことで

ベータエンドルフィンや、ドーパミン、オキシトシンといった脳内快楽物質

分泌することが証明されているようです。

つまり、そのような「分け与える」行動は、金銭面等でマイナスであっても、人間に多幸感や快楽をもたらしていると証明されているのです。

80半ばの高齢の両親が二人で田舎で暮らしています。

週末、様子を見るため訪問していますが、時々、部活がない時など息子たちを同伴します。

孫かわいさでしょうか、年金暮らしの中、必ずお小遣いをくれます。

何もしてあげられないからせめて・・・

息子たちが行くと両親は喜びます。

帰り際には必ずお小遣いをくれます。

来てくれてありがとう。
はい、少ないけど。
しっかり勉強して、テニスも頑張ってね。
また来てね。

ありがとう。
うん、また来る。
風邪ひかないようにね。

しかし、私は少ない年金からの出金になるので、むしろ息子たちを連れていくのが心苦しくなります。

報告のみ・申告ナシ

小学生までは、お小遣いやお年玉など、いくらもらったのか、ちゃんと報告がありました。

お小遣い帳もつけて、小銭をじゃりじゃりさせていたのですが。

近頃は

おばあちゃんからお小遣いもらった。

あら、よかったねぇ。
いくら?

過分なくらい。

そう。。。(いったい、いくらよ)
次回でいいので、相応におばあちゃんのお手伝いをしてください・・・・

その上、以前はそのお小遣いそのものを私に預けてくれていたのですが、

今では全く私への信用を無くし、預けてくれません。

ちゃんと通帳つくってお金は入れてありますって・・・

ちょっとお借りしたことも、確かにありましたが・・・・

投資?

祖父母から孫へのお小遣いは、本当に孫かわいさだけなのかな?

「また来てね。」という契約があるのかも?

恩を売って、見返りを受けるため?

いや、ちょっと私自身の汚い心をお見せしてしており、お恥ずかしい。

今回は純粋に、「人のためにお金を使うと幸せになれる」と言う話を書きたいのです。

広告

人のためにお金を使うと幸せになる?

人のためにお金を使うと幸福感を感じれるのか、考えたことありますか?

あるいは、なんだか胡散くさい話に聞こえます か?

人のためにお金を使うと書くと、募金だったり寄付したりを連想しますよね。

しかし、実際使うとなったならば、使う相手は家族や友人などの自分が親しい相手になるでしょう。

これが「どうして人のためにお金を使うと幸福感を感じることがあるのか?」の理由で、

祖父母が「孫に幸せになってもらった」と思える時に、自分も幸せな気分になれるのです。

はっきり言うと、「やってあげた。」「自分にはそういう力がある」という祖父母の自己満足ですね。

ただ、この「誰かのために何か自分はする事が出来る、役に立てる」と言うことを感じることは

群を作る動物である人間の本能上とても大事な事なのだと思います。

群れの中で自分の存在が無意味になったら、そこにはいられなくなります。。。

祖父母が「何もしてあげられないからせめてお金で」というのは真意で、

つまり、孫に喜んでもらえると言うのは自分の存在を肯定してもらえるという事であり、

孫のためにお金を使うことは祖父母の「承認欲求」を満たしてくれるのでしょう。

祖父母に限らず、明確に誰かに喜んでもらえたと言う事実が得られるのは自分の心が満たされた気分になる、

その手段の一つが人のためにお金を使うことであり、それが幸せになることに繋がると考えられます。

広告

お金よりも手に入りにくいモノが得られる

世の中にはお金では買えないものがあると良く言われますが、

人のためにお金を使うことでお金よりもずっと手に入りにくいモノを手に入れることが出来るため、

人のためにお金を使うことは幸福感に繋がるとも言えます。

例えば祖父母の手伝い。

実は、息子たち、祖父母宅へ行くときには、

何かやってほしいことある?

と、とりあえず聞いて確認します。

時には「草取り」「荷物運び」「片付け」など頼まれることもあります。

そして、具体的にない場合は必ず、祖父母の「相手」になる時間を作ります。

今、祖父はオセロゲームが認知症予防にいいとはまっているので、

じゃあ、オセロでもやる?

次男は数局対戦します。そして負けています。

私はてっきり、「負けてあげている。」と思っていたのですが、本気で負けているようです。

いままでも、将棋やボードゲーム、カラオケや温泉など、祖父母が楽しんでくれそうなことを提案します。

次男の時間や優しさをお金で買っているというわけではありませんが、

一緒にオセロしたり、ゲームしたり、温泉へ行くなど共通のできることをするにも現代社会は何かとお金を必要とします。

あまり、論理的な話にはなっていませんが・・・

「お金で買えないものではあるけどもお金を使わないと手に入らないもの」と言うものは存在しており、

お金を人のために使うことでそれらを手に入れることができることから、

人のためにお金を使うことは幸せになれることであるとも言えそうです。

元よりも高い価値を持つ

「情けは人の為ならず」と言う言葉ありますよね?

「人のために何かをしてあげるのはただ相手のためと言うだけでなく、いずれは巡って自分に返ってくるのだから、誰にでも親切にしておいた方が良い」と。

お金を人のために使うのもこれと同じ事かもしれません。

次男は、祖父母から「過分な」お小遣いをもらうと、何かやってあげないとという気になるそうです。

お小遣いだから、自分のために遣いなさい、と言われても少し負い目と言うか引け目を感じるのかもしれません。

お金と言うのは苦労の対価に手にする人が多いため、相手にそうした感情を強く抱かせます。

別に、大きな恩を売るとか貸しを作ると言うのではなく、ちょっとしたつながりともいえます。

政治家や立場ある人への貢ぎ物などして見返りを期待するのは全く論外。

人と人とのつながりと言うのは義理だとしも、あると無いとは大違いであり、困った時に他人ではないと思ってもらえるかどうかが人生において大きな違いを生むこともあります。

保険と同じで、この「つながり」で救われたことが無い人には分かりにくいかもしれませんが、そうした万が一他人ではないと思ってもらえることが救いになることが世の中にはあり、そうした時のため人のためにお金を使うことの意味があると言えるのかもしれません。

広告

でも、余裕がないと・・・

この数か月のうちに、家族へのプレゼントは抜きにして、私が他の人のためにお金を使ったのは。。。。

留学生と台風被害に渡されるはずの募金です。

留学生の話は別として、台風被害も同じ県内だから当然のことだし。・・・

ないなぁ・・・・

う~ん、生活に余裕がないと言うのが正直なところでしょうか。。。

自分や家族内で余裕がないと、なかなか人に対して優しさを持つことなんて出来ません。

きっと、人のためにお金を使うことができる時、大なり小なり自分の心に余裕がある時なのです。

お金以外ならば、極力、人の道理に沿う行動をしようと思っています。

例えば、先日、知らない人のために時間を使いました。

先日商業施設の店の隅にあるATMでお金を引き出そうとしたところ、すぐ目の前にキャッシュカードが一枚放置されていました。

私の直前にATMを使っていた人のモノではなかったので、その日、このATMの機械を使った何人かが気が付いたものの、そのままにして、自分の用件のみを済ませていったと思います。

気が付いた私は、ATMに設置されている電話機で銀行の方と話して、そのカードの取り扱いを相談し、
指示された通りの行動をしました。

そんなことをしている間に、私の後ろには3,4人のATM待ち行列ができており、イラついている人も。。。

そっか。。。みんな、こういう状況が嫌だから知らんぷりするのか。。。

なぜ、私が謝らなくてはいけないのか少々戸惑いながらも、誰かの役に立っているはず、と
自分を納得させ、帰ってきました。

情けは人のためならず。。。

まとめ

人のためにお金を使うと自分の幸福感がアップする、について考えてきました。

どうにも胡散くさいと思う人もいるでしょう。

実際、私自身、人のためにお金遣っていないということに気づいてしまいましたし。。。。

それでも、 いつか、人のためにお金を使うことがあった時、幸福感を感じることで、あっそうそう!とこの記事の事を思い出していただけたなら幸いです

ただ・・・老後2000万円問題もあり、余裕ができたら・・・なんて悠長なこと言ってられません。

お金の話は大事なので、私が始めた積み立てNISAの話など、後日書いていこうと思います。

介護, 未分類

Posted by カトラ