二ホンアマガエルの初鳴き

気象予報士の伊藤みゆきさんがラジオの天気予報のコーナーで気象データのことを教えてくれます。
この頃は桜の開花情報で「例年より〇日早く開花し・・・。」とか
「今年はツバメの初見日が昨年よりも〇日早く。」など。
桜やツバメは確かに、「春」を感じるものとして指標になるのはわかりますし、
実際、私の日記にも毎年、初めてツバメを見た日を書いてあります。
ただ、そういうデータをちゃ~んと気象庁でデータ管理しているというのが驚きました。
今年は暖冬なのでツバメも早くに近所に来ていたと思うのですが、私自身が外出を自粛していたため
初見がかなり遅くなりました。昨年は3月10ですが、今年は3月24日。
一方で、今年は3月26日に二ホンアマガエルの姿を見たし(27日には車に轢かれたぺちゃんこカエルもいて)
28日には公園でカエルの初鳴きを聞きました。さすがに暖冬だなぁ。
しかし、29日の大雪・・・
冬眠したのかな
今年の暖冬は、生き物たちの生活にも影響しているのでしょうね。
冬眠しているはずのクマが12月頃街中に現れたニュースを何度か見ましたよね?
大きいクマだからニュースになるけど、それ以外にもたくさんの生き物がいつもとは違う冬の過ごし方をしたに違いない。
変温動物の蛇が冬眠せずに動いている姿も映っていましたし。。。
生き物の生きる力と環境適応の力は考えているというより、本能的なものなのでしょうか。
生物の最終目的である種の保存のためになせる業ともいうべき。
このまま、暖かい日本になっていくと冬眠しない生き物が増え、人間だけが「冬眠したい」と
思いながら生きていくのかもしれません。
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カエルと言えば
さて、冒頭に書いたカエル君。
雪の中で固まっていないことを祈ります。
カエルの凍死を想像しましたが、同時に「ゆでガエル」の寓話を思い出しました。
皆さんもご存知、 組織論ではおなじみのゆでガエルの寓話。簡単に・・・。
カエルを熱いお湯に入れると驚いて飛びだし、死なない。
しかし最初は水に入れて徐々に水を熱くしていく、
するとその温度変化に気づかず、いつの間にかカエルはゆで上がって死んでしまうという寓話。
このカエルを組織のなかにいるメンバーとしてよく組織変革の話では引用され、
徐々に加熱されてはいるけれど、気づかず知らぬ間にゆで上がっているカエルは
周りの変化に気づかずだんだんと腐っていってしまう組織内の個人そのものだという揶揄です。

変わらないのは人間だけ
しかし、上記の寓話、科学的根拠はないそうです。
実際に水からゆで上げていくと、途中でカエルはちゃんと自分で逃げていくそうです。
あくまでも寓話だし、人間が「そうだなぁ。」と感じてしまうのは
どこか自分に当てはまるところがあるからでしょう。
人間は「変化」をしたがりません。
なぜなら、変化によって得られる可能性がある明るい未来よりも、
変化により失う可能性のあるリスクに対して過剰に反応してしまうからなのでしょうね。
これは年齢など程度の差こそあれ誰もが持っている人間の本能なのかもしれません。
人は何かによって得られる利益よりも、そのことで生じる損失の方がすごく大きなものとしてとらえているのです。
その結果「変化するくらいなら現状維持の方がトク」というバイアスが発動するのです。
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現状維持バイアス
バイアスとは、先入観とか思い込みと言った意味。
現状維持バイアスは、上記の繰り返しですが、変化によって得られる可能性がある「リターン」よりも、
それにより失う可能性のある「損失(リスク)」に対して、過剰に反応してしまう傾向 。
実際に、無意識のうちに変化を起こさない(何もしなくて良い)理由を探してしまう 。
現状を変えるということは、変化を起こすということであり、そこには失敗のリスクが伴います。
状況が現状より悪くなる可能性も秘めています。
また、批判に身をさらすことになるかもしれません。。
後悔することになるかもしれません。
現状維持を選択すれば、そうしたリスクを負う必要もありません。
無駄な労力も払わなくて済みます
現状維持は退化の始まり
昔から偉人は同じように言っています。
ナイチンゲールも、松下幸之助も、ウォルトディズニーも・・・
他にはイチローさんもオバマ前大統領も進化していくことの大切さを伝えています。
今日はこの中から簡単にナイチンゲールさんの功績を簡単に紹介。

ナイチンゲールと言えば、クリミア戦争(1854年~)の従軍看護の献身的な姿から
「クリミアの天使」と称され、夜ランプを持ち院内を見回るその姿に傷ついた兵士たちが救われたと。
小学生の時に読んだ偉人伝の、ランプを持つ表紙のイラストは瞼に焼き付いています。
そのような看護のパイオニア、看護の神というイメージもありますが、
もう一つの彼女の評価は「統計学者」です。

具体的には、ナイチンゲールは戦闘によって命を落とす兵士よりも、
不衛生な環境による感染症で亡くなる兵士の方が多い事に気がつき
それを立証するために数学や統計学を用いて立証したのです。
実際 ナイチンゲールが野戦病院に着いた翌年の1855年2月には負傷兵の死亡率は約42%にまで跳ね上がっていました。
しかし、物資補給体制を整えたり、職員や病室を増やしたりといったナイチンゲールの寄与もあり、
4月に14.5%、5月に5%となり、同年冬にはなんと2%にまで激減したそうです。
戦時中、ナイチンゲールは兵士の死亡原因は、極度の栄養失調や、兵士が疲弊し手遅れになって病院に送られて来るためだと信じていました。
そうして軍司令部の無能さや非情さ、物資補給を滞らせる政府や軍当局、病院管理者を激しく批判しました。
実はクリミア戦争は新聞記者が従軍し、ジャーナリストの観点から戦況を伝え、翌日の新聞に掲載する
という今日的な報道体制が初めて確立された戦争ともいえるそうです。
そのため、 英国陸軍の医療体制のずさんさがすぐさま英国民の知るところとなり、同時にそれは
ビクトリア女王のお墨付きであったためナイチンゲールは英国内でもすでに英雄扱いで、
騒ぎを避けるため帰国時は名前を変えて入国したそうです。
ただ一方で、彼女は、戦後、統計学(数字)によって自分自身も苦しみを味わいました。
2万5,000人の兵士のうちの1万8,000人を死なせたおもな原因が、戦傷や兵士の過労によるものよりも、
病院の過密と不衛生な状況によるものであったという結論を得て、その数字の大きさに愕然としたそうです。
数字上では、死亡率は劇的な減少を遂げたものの、看護の監督者として、病院の衛生管理事項の注意を怠った
ために、助かったかもしれない負傷兵を死に追いやった、という罪の意識にさいなまれたというのです。
統計学は数字ですし、実際にナイチンゲールのおかげで、「死亡率」 は下がった。
でも大事なのは、死亡率の「要因」という真実を知らせ、同じ過ちが繰り返されないようにすること。
ナイチンゲールが生涯に渡り、統計学と衛生統計へ情熱を注いだのはそのためだった。と言われています。
この頃話題の統計の数字
この頃は毎日テレビやニュースで感染者と死亡者の数字が公表されますね。
その数字を私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。
ナイチンゲールさんに叱られそうです。
あの数にはそのすぐそばに多くの医療従事者の方たちの献身的なご苦労があるわけです。
「数字」に踊らされるぬように、その数字の意味するところを考えなくてはいけませんね。
ゆでガエルにならぬように。
