網戸の張替え

暑い日が続き、居間のサッシを網戸にする機会が多くなっています。
汚れが気になり、早速網戸を外して洗浄。

ブラシを使ってごしごししていると、「ビリビリ~~~」と押さえゴムの脇のあたりから一気に数十センチ。
ちょっとの穴と言える程度のモノならば、簡単に補修ができるのですが、これでは・・・
虫にとったら、解放された出入口があるのと変わりません。
週末に張り替えるよ。
1人では難しい
網戸の張替え作業は、慣れていれば一人でもできるのでしょうが、我が家のように数年に一度のこととなると毎回、初めての作業と変わりないわけです。
網を押さえゴムで枠にはめ込む前に位置を決めて動かないように押さえる、というのが手伝いする人の主な作業。
前回は私が手つだったところを、今回は長男がやってくれました。
夫は私と作業するよりも長男との方がはかどるようでした。
といっても、買い物の時間を抜いた作業時間はサッシ網戸1枚、1時間。
2人作業
同じ能力の二人が作業内容を知っていてする作業ならチャチャっと効率よくできるのでしょうが、お互いに説明書を観ながら試し試し進めているのだから、、、時間はかかります。
それでも、なから出来上がったと思われる会話が聞こえてきます。
まっ、いいか。
うん、きっと大丈夫!大丈夫。
それぐらいなら、いいんじゃない?
だよなぁ。ハハハハハ
ハハハハハ
といった、あやしい会話が聞こえてくる。ホントに大丈夫?

不思議です。
もし、私と夫の二人で作業をしたらきっと、
えっ?それでいいの?
もっと、ココをこうした方がいいんじゃない?
というような責めるような問いをしていると思います。ですが、長男はそういうの言いません。
ダイジョ、ダイジョ‼
虫は絶対入れない。
っていうか、蚊は、ココを避けて他の入り口から入ってくるけどね。
慰めを言うことはもちろん、
ここのところなんか、神業じゃない?
なんて、心持よくさせる言葉までサラッと言います。
それは長男と作業したくなりますよね。
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網戸の張替えのコツ
網戸って、ピンっと張っているようなイメージがありますが、コツとしては少しゆとりをもたせることです。
ピン!と網戸をいっぱいいっぱい張っていると、日差しや風などの影響を受けて早く劣化してしまうそうです。
ちょっとの遊びの部分がある方が長持ちするコツなんです。
見た目的にはピンっと張っているほうがいいけど、それでは早く傷んでしまう。
なんだか、私たちのココロと同じですね。
張りつめていると疲れたり、急いでミスしたり、相手に厳しくなったり。その上、最終的にそのような自分自身を自分が責めていたり。。。
あまりよい結果を生まないことが多いような気がします。
ココロにもゆとりを
慌ただしい日々を過ごしていると、わかっているけど、できないことの一つですね、「ココロのゆとり」
私自身、ゆとりがあるかどうかと問われたら、全く「ない」のですが、
84歳になる私の父には、「ゆとりあり」と見えるときがあります。
約7年前父は77歳の時、大けがをして3ケ月に及ぶ入院生活をしたことがありました。
病態が安定して一般病棟に移ったころから、看病疲れが目に見えてきた母は、病院や看護師さんへの不満を口にするようになっていました。
実は、母自身、定年まで看護師をしていたため、医療への期待が大きかったのでしょう。
一方、父は病棟生活が長くなるにつれ患者の役割が理解でき、併せて看護師たちの勤務時間や、勤務態度などが分かって医師や看護師とも親しく会話をするようになっていました。
驚いたのは、看護師や医師との会話で、父がよく冗談を言い、病室に笑いがあったことでした。
父親はまじめな人で冗談など口にする人ではないと思っていたので私は本当に驚きました。
身体的には辛そうで真面目な性格の年配男性が冗談を言っても、若い看護師さんたちは笑っていいものか、たんなる言い間違い等で笑うと失礼になるのではないか、と戸惑った様子もありましたが、次第に皆さんが笑うようになってくれました。
驚いている私に父は、「笑いが大事。相手を追い詰めたり、責めたりしても意味がない。ユーモアが大事」と言いました。
若い看護師さんをニコリとさせて得意満面の父はただ浮ついているのではなく、あえて、場を和ませる努力をしていると知りました。

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ゆとり芝居
父の「場を和ますための冗談」が、実は父がそうしようと「努力している」結果だと知りました。
それはまるで「ゆとりのある自分」を演出しているようも見えました。
そうです、これは我が家の次男に引き継がれています。
以前の記事で書いたことがありますが、
我が家の次男のソフトテニスの試合は、相手側選手に「自分たちペアのゆとり」を見せつける演出があります。
自分、あるいは自分のペアが得点をとった時はもちろん、ミスをしたときも常にお互いにニコニコして一球ごとお互いに歩み寄りタッチをします。
もちろん、自分たち自身が平常心を保つためのものでもあるようですが、次男に聞くととにかく「相手側から見られている自分たちの姿」という意識が強いのです。
したがって、得点をとった時のタッチは「相手をイラつかせない程度のハイタッチ」にして、ミスしたときは「このくらいのミスは我々には大したことない」「まだまだ元気で疲れなど感じていない」「我々のチームワークは無敵」などなど、相手がこちらを見ていることを意識したうえで、あえて見せつける意味合いでタッチをしているそうです。
これは、DNAがなせるわざでしょうか・・・私にはないけど。

ココロのゆとりをもつために
そうそう、私が自分で「ゆとりあるなぁ」と自分の行動を認めるとき、それは道を譲る行為をしたときです。
信号機のない横断歩道の歩行者に対しては当然ですが、幹線道路の脇道から頭を出している車や右折信号を出すもののなかなかタイミングのない様子の車に「どうぞ」と手で合図しているときの自分はゆとりがあるように感じます。
よく考えるとゆとりといっても「自己犠牲や相手を思って」というレベルではなく、ルールやマナーのレベルですね。
まぁ、それでも私自身の気分もよくなります。
働き方改革って・・・
さて、ゆとりという流れで「ゆとり教育」について書こうかと思ったものの、我が家の息子たちはゆとり教育の指導要領ではないので・・・。
ただ、「ゆとり世代」の甥っ子たちが社会に出た昨今、「働き方改革」が声高になっていることが気になります。
「ゆとり教育」を失敗策ととらえたのか「脱ゆとり」をうたう現政権(今のところ)が推奨する「働き方改革」です。
つまり、「働き方改革」は労働力の確保、生産性の向上にあるので、ゆとり教育を受けてきた世代を含め、とにかく働きなさい。それは1ケ所で長時間勤務ではなく、副業などをして働いてもいいし、年寄りも女性もみんな働きなさい、ということです。
ちょっと「ゆとり」という話題にはふさわしくない気がします。
「ゆ」が大事
ふと、思い出しましたが、その出典とか、誰に言われたのか思い出せません。
「〇」個の「ゆ」が大事、と教えられました。
ゆとり
ユーモア
勇気
夢
・・・
残念ながらこれら以外の「ゆ」が、あといくつ並んだかも覚えていません。
もしかしたら温泉街の宣伝で、最後の「ゆ」に「湯」が入ったかもしれません。
