迂闊だった?

ソフトテニス

次男は部活とは別に、週1回2時間、テニス教室に通っていました。

そこには小学校低学年から中学3年生までが通っていて、高校生になる前に引退となります。

習い始めは、それぞれのタイミングなので、次男は中1の8月からちょうど丸2年。

そして例年、中学3年生は夏の大会が終わる8月に辞めていきます。

もちろん、3月の卒業時まで通う人もいます。

7月ですべてが終わる

辞める1ケ月前に先生に自分で伝えておくことだけを条件に、テニス教室を辞めるタイミングは次男本人に任せてありました。

中学校は3学年ですが、その学年の差には大きな壁があります。

1年生から見たら、3年生はとても大きく、気軽に話しかけられません。

同じように、3年になると、2年生や1年生に親しくはなしかけても相手から煙たがられている感じを受けるようです。

そのため、次男は他の3年生と一緒の時期に引退したいと考えていたようです。

同じ中学からの生徒はいないので、他校の子に様子を聞くのだろうと思っていました。

何度も書いていますが、今年は大きな大会がなくなり、中学3年生が出られる大会は唯一7月の市中大会のみでした。

だから次男にとって、今年は7月ですべての中学3年のテニスが終わる、という感覚でした。

あれ?おれだけ?

月末最終日、2時間の練習が終わり、先生へ最後のお礼と挨拶をしました。

先生には1ケ月前から伝えてあったので、、「最後、優勝といういい形で終われてよかった。いつでもやりたくなったら打ちに来いよ。」と言っていただきました。

すると、

「え~?辞めるの?」「なぜ?」「勉強するのか?」「つまんね~な~」などなど

周囲の中3仲間からの驚きの声。

これには私が驚きました。
え?みんなも一緒に辞めるんじゃないの?

次男も「え?オレだけ?」という表情。

え?辞めるのやめる?

いや、オレはいつも最先端を行くから・・・

という笑いの中での引退でしたが、これはあなた、みんなへの確認を怠った迂闊な行動だったのではないですか?

広告

迂闊な人

先日、ワイドショーのインタビューに顔を伏せて女性が答えいました。

その際、コロナ禍の今、越県して旅行する人を「迂闊な人」と表現していました。

「迂闊」を調べるとこの文字は当て字で、語源は中国なのだとか。

現在日本で使われる意味合いとしては「うっかりする」とか「不注意だ」というところ。

時代劇水戸黄門に出てくる「うっかり八兵衛」といったところでしょうか。

ただ、「うっかりさん」は可愛げがあるのですが、「迂闊な人」には不信を抱きます。

つまり、インタビューに答えたご婦人はコロナ禍の今、越県する旅行者を「迂闊な人」として非難していた様子が分かりました。加えていうなら、そういう迂闊な人だから、マスクや手洗いなどの感染予防対策もきちんとできない人でしょう、という非難も含め言及していました。

右京さん

「僕としたことが、迂闊でした。」とは、ご存知「相棒」の杉下右京が言いそうなセリフですね。

このセリフがでると、ドラマが急展開したり真犯人への糸口が出たりします。

理論的、合理的、隙のない右京さんだからこのセリフが生きて、完璧な人にもうっかりなところはあるものよ、と急に右京さんの人間味を出しているといったところでしょうか。

いや、むしろ、完璧さを補完するための細部への気づき、としてあえて言わせているような気もします。

とにかく、「迂闊でした」という右京さんは「迂闊な人」には見えないのです。

迂闊な発言・・・

政治家の失言はごまんとありますが、私が一番忘れられないのは

2007年(平成19年)、当時厚生労働大臣だった柳沢伯夫氏の発言。

自分の後援会の集会で女性について「機械と言って申し訳ないけど」「15歳から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べたんですよね。

いわゆる、「女性は子供を産む機械」発言です。

2003年に長男、2005年に次男、そしてその時期、自分の年齢も考え、3人目を欲しいと考えていた時でした。

自分に言われたわけではないけれど、妙に、ゾッとしたのを覚えています。

広告

みんな不完全な存在なのよね

ところで、第二波中のコロナ禍。

「迂闊な人」であってもなくても、新型コロナウィルスに感染する可能性はあります。

そして感染した人を非難したり差別する「迂闊な人」が多いことが問題になっています。

元の世界には戻りません。皆が行動変容をして今までとは異なる生活をしなくてはいけないんですよね。

でも、誰もが同じようにうまくすぐに言われた通りに適応できるわけはないんです。

私たちに求められていることが同じだとしても、それぞれの具体的な生活環境や状況、大事なものや緊急性は大きく異なっているからです。

高齢者の一人暮らし。
進学して上京したばかりの学生。
転勤したばかりで一人の知り合いもいない環境。
赤ちゃんや一日世話が必要な子どものいる家庭。

何が正しい行動なのかを知っていたとしても、それを守れない、従えない状況や緊急性の高い場面は誰にでも直面する可能性があります

その際、我々はそれとこれ、どちらを優先するか、選択するか、決めなくてはいけなくなる。

そして、あたふたしながら出した選択は、自己責任として背負わされる。

でもね、我ながら「迂闊だった」と思うこともあるじゃないですか。

みんなお互い、まだまだ未熟モノなんです。

ただ、「未熟」で片付けられないのが、日本社会のIT活用・・・。

FAXでのやり取りで感染者数集計をしたり、「ハンコ」のために出社したりなど、多くの日本人が「えっ?」と思ったことありましたね。

日本社会のIT化ってこの程度だったんですね。まだまだ伸びしろありそうです。

ところで、厚生労働省の新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAの開発。

当初の不具合で、無償で開発者してくれた廣瀬さん個人をメタメタのケッチョンケッチョンにたたいた迂闊な人たちいましたね。

このアプリがうまく活用されて、感染拡大予防に役立てばいいですね。

ソフトテニス

Posted by カトラ