やらかしちまったかも。

昨日、犬のトリミングをお願いしました。
いつものお店に頼んだのですが、普段よりも時間がかかっている様子。
預けたときに、「今日はお時間がかかります」というインフォメーションはうけていたので覚悟はしていましたが、普段よりも2時間以上多くかかっています。
お店に向かう車中で「お迎え依頼の電話」が鳴ることを期待して家を出ました。
あと30分ほどです
結局、お店に到着してしまいました。
トリミングの受付窓口でたずねたところ「あと30分ほどで終わります」とのこと。
それならば、と隣接するスーパーマーケットで買い出し。
30分が過ぎても電話はなりません。40分過ぎた頃、お店に戻り店内のベンチで座って待つことにしました。
トリミングお迎え依頼の電話をしている様子があり、迎えに来る飼い主さんも二人ほどいました。
ベンチで待っている私たちの周りを店員は通り過ぎるものの、何の説明もありません。
最初に来た時から1時間過ぎたところで、もう連れて帰ろうと思いました。
先ほどは「あと30分」と言われたけれど、もうすでに1時間経っているけど、何が終わっていないのでしょうか?途中でもかまいませんので、連れて帰ります。
少々お待ちください・・・。
バックヤードへ確認に行き・・・伝票手に持ってきて、レジ打ちをしました。
何が終わってないんですか?
あっ、いえ、終わっていました。
え?私たちここで30分待っていたのに、どうして?何がいけなかった?
はい、知っています。
すみませ~ん。すぐにワンっちゃんたち連れてきます。
犬をうけとりながら・・・。
何がいけなかったのかな?私はどうしたらよかったのかな?
あっ、いえ、全て私の確認ミスです・・・・。
ん~??店員さんは途中で「すみません」は一言いったし、ミスを認めたけれど、とうとう謝りませんでした。
また、トリミングはお願いするので、その時はきちんと連絡、お願いしますね。
このお店で犬たちと出会ったので、お店とは既に7年の付き合いです。7年前からずっと知っている店長さんはこの日、姿が見えなかったのでお休みだったのでしょう。店長さんがいたらまず、犬のことよりも、息子が大きくなったことが毎回話題になるんですけどね。
ミスをすることは仕方ないのですが、店員とのやり取りのあとしばらくしっくりこなかったのは、「謝罪」がなかったからだと思いました。
そう、違和感を感じたのは、最初に店員さんが「自分のミス」だと気が付いた時に、そのことに対するエクスキューズも謝罪もなく、涼しい顔してレジを打ち始めたときだったんですよね。
あ~~~なんか、若い時の自分を見ているようでつらい。
自分が間違えるはずはない、くらい思っていたよなぁ。
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予定通りですか?
今日、突然、次男がお世話になっている中間教室のI先生から「面談は予定通りお越しになりますか?」とメッセージが届きました。
次男の三者面談ならぬ五者面談をお願いしてあったので、「はい、明日、予定通り息子と一緒に参ります。」と返信しました。
が、この時点でわざわざ明日の確認などあろうはずはなく、「面談の日を間違えていて、予定通りというのは今日、まさに今なのではないかと不安がよぎりました。」
今回の三者面談は、中学3年生全員が対象ではなく、希望者だけが面談するため、各人の予定時間がプリントで知らされることはなく、生徒個々に口頭で、担任から時間が伝えられたのです。
あわてて次男に確認すると、次男自身も「明日」と思っていたのですが、メモった紙には「今日」の日付が・・・。
やべぇ、やらかしちまった。
電話して謝らなきゃ。
本当に思い込んでいたので仕方ありません。
ところが、こちらから電話をする前に、I先生から返信が
「わかりました、予定通り、明日、お待ちしています。」
え?次男が間違えたことがなかったことになっている?????
このまま、I先生のご厚意に甘えちゃう??
いやいやいや、、、3者面談ではなく5者で、調整する人数多いんだから、謝らなくちゃ。
慌てて、電話してI先生には本人から謝罪をしました。
おそらくI先生は、次男が間違えたか私が間違えたと思いつつも、そこを確認して糾弾するよりも、教頭と担任の間に入り対応策をひねり出してくださったのだと思います。
明日の個々の予定を調整してくださったのに、それを言うこともなく。感服しました。
次男は次男で、言い訳することなく「やらかした」と認めて謝るし。
そうです、ミスは起こります。
大事なのは、人間性が見えるその後の対応です。
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さてさて、問題は中身
取りあえず、三者面談ならぬ五者面談は明日、予定通りに行ってきます。
問題は中身です。
もともと希望者のみの三者面談なので、学校側からのお知らせ的なことはなく、こちら側が主導を持っているということになりそうです。
中3の夏休みですから、我が家からの確認は、成績と志望校の話です。
中間教室への登校のみで、もとの学級へ行っていないことがどのくらい受験に影響するのか、具体的な志望校を提示して確認をしたいと事前に伝えてはあります。
現実的に、今の成績では、まだまだ努力する必要があると言われることはわかっていますが、できることなら「無駄な努力」にならないためのアドバイスは欲しいと考えています。
ミスを認めると気持ちがラク
話は戻りますが、
「ミスを糾弾しない」大きさとは別ですが、ミスは認めた方がいいと今では思います。
「私のミスです」と告白した方が、気持ちがラクになりますからね。
若いころは他者との比較からかエリート意識からか「こんなことを間違えちゃいけない」「確認不足なんてだめだ」「私が間違うはずない」というプライドのようなものが知らず知らず大きくなってきて、ミスを指摘された時に「すみません」よりも先に、言い訳が出たり、誤魔化すようなことをしていましたねぇ。
子どもを育てている中からでしょうか、「できないことが当たり前」「間違うことは当然」という視点で見れるようになってきたのかもしれません。
完璧になんてできるわけない。
気を付けていても、起きてしまったミスは、「申し訳ありません、二度と起こさないようにします」とか「忘れておりました。すぐに確認すします。」と言えばいいんですよね。
言い訳をするとかえって、ただただ周囲の信頼を失うだけ。
自分はミスをしてしまうし、ミスをしたら謝罪する。そして、周りの人がしたミスをあえてとがめることはしない。
それが抵抗なくできるようになった今は、少し生きやすくなったかな。
次男はすでにそれができているとわかり、ちょっとホッとしました。
過ちて改めざる 是(これ)を過ちと謂(い)う
人が過ちを犯すことはやむを得ないが、過ちと気づいたらすぐに改めるべきで、改めようとしないことこそ真の過ちであるという教え。
論語
ミスをしない人間は、何もしない人間だけだ。
セオドア・ルーズベルト