また、手術すると言い出しました。

私の母は、過去に2度変形性膝関節症の手術をドタキャンしています。
最初は78歳頃、2度目は82歳頃だっと思います。
両方とも、手術日も決まり、自己輸血用の採血も始まった後でのキャンセルでした。
2度目にキャンセルする際には、「今回手術をしなければ歩けなくなる。年齢的にもこれがラストチャンスだからよく考えて結論出してほしい。」と念押しをしました。それでも手術を止めたのだから、車いす生活も覚悟をしてくれたのだと思っていました。
それが、また「やはり、手術をする。先生が何歳でも手術できるといった。」というのです。
ドタキャンの理由
前回も前々回も、手術をキャンセルした理由は「お父さん」にしていました。
夫婦二人で暮らしているから、自分が入院したら夫である「お父さんが困る、一人では生活できないはずだ。」というのです。もちろん、私が世話をするつもりでしたし、父親自身も何もできない状態ではありませんから、1,2ケ月でもなんとかなると、心の準備をしていました。
父親は手術を反対したことはなく、一人暮らしに対する不安も口にしたことはありませんでした。
実は、パートをしていた私はその手術が決まってから、仕事を辞める段取りをつけていたのです。仕事を辞めさせたと負担に感じさせたくなかったので、自分の都合で辞めたことにはしていましたが、はっきり言って「親孝行」のためです。
しかし、母親自身が夫を理由に手術をドタキャンしたのです。
父は不本意のようでしたが、「怖くなった」ことを言えないからそう理由づけをしたのだろう、とあえて波立たせず収めていました。私は腹が立ちましたが、父親の顔を立てて、母に怒りをぶつけることは避けました。
ただ、さすがに2回目のキャンセルの時には、病院に電話をする前に私が確認をしました。
「今回の手術のキャンセルは父親が理由ではない。自分のメンタルの問題だ。」
「今回キャンセルしたら、もう手術のチャンスはない。」
「今回手術しなければ、歩けなくなる日は早く訪れるから、人生の中で車いす生活になる。」
それでも、母親はキャンセルの電話をして、その理由を「お父さん」にしていました。
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何歳でも手術できるって
今回、また膝の手術をしようと考えるようになったのは、医師に「何歳でもできる。」と言われたからのようです。
その医師の言葉の意図はわかりません。
一般論として、心臓等身体的に問題が無ければ年齢は関係なく手術自体は耐えられるということかもしれません。
なぜなら、本人が望む、全く痛みのない膝を手に入れられる魔法のような手術を、84歳で膝も腰も大きく曲がった心臓の悪い母にできる、と言ったとは思えませんから。
なぜ腹が立つ?
ということで、
いつもならば「はいはい、そりゃ奇特な先生が居たもんだ。できる自信があるという先生ならお願いしたら?」と軽く受け流すのですが、今回はイライラが止まらず、大げんかになりました。
まず、前回キャンセルしたときの私からの忠告はいっさい覚えていないというからです。
言われたことさえ覚えていないそうです。
「でたよ、都合のいい認知症…。」(私の心のつぶやき)
前回は、メンタルやられて手術前に泣いてばかりになったでしょ?
また、手術が怖くてそうなるんじゃないの?
そうよ。
前回の時は、鬱になったけど、その原因は誰?
え?誰?って。
自分が鬱になっただけでしょ?
私が鬱になった原因は、お父さんがいけないんだし、それを誰もわかってくれなかったから。
少なくとも、お父さんは原因じゃないよ。
「お父さんが何もできない」と勝手に決めつけていたのは自分自身だし。
そして私が、苦しみを理解しなかったことが原因だということなんだろうけど、人を責めて、人のせいにしてラクになるならそれでもいいけど、解決にはならないね。
正当論を威張っていうけど、何いっているのか、さっぱりわからない。
私の言うことが理解できないっていうのは、私への質問の仕方が悪い。
「あ~、負のループに入ってきた。もうじき涙流すよ・・・」(私の心のつぶやき)
どうして、こんなに人の気持ちがわからない子になってしまったのか・・・(泣)
言い合って今、結論の出る話しじゃないから、もう止めたら?
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高齢の母親との会話に
目の前にいるのは年老いた認知症も見られる女性。
しかし、私は過去の元気だった母の記憶や、確執を含めて会話をしています。
もともと小さなころから両親との会話はあまりしなかったなぁ。共働きで、父親は公務員でしたが兼業農家で忙しく、母親は土日関係のない仕事だったからほとんど一緒にいた時間が記憶に少ないんですよね。
私自身が子どもとの関係の中で親子関係を考えて改めて感じたこと。
母親に私自身の話を聴いてもらった記憶はないなぁ。
言いたい事やしたいことを我慢していたなぁ。
でも、両親のいうことにはノーとはいえなかった。
我慢したりいい子になることで母親の愛情を得られ自分の存在価値も感じていた。
何か…心の深い所に今も私は、母への不満や怒りを押し込んでいるのかもしれない。
あ~こんなものさっさと捨ててしまいましょ。時間は戻りません。完璧な人間はいません。そういう時代でした。
過去は流して…でも現在の問題も
過去の私自身の、母に対する心わだかまりは捨てましょう。
でも、目の前でイヤなことがあります。
自分の夫である「お父さん」を全否定すること。
私の子どもである「孫」に対して常に指示的な物言いをして、自分の価値観を押し付けること。
私の夫を子どもたちの前で小ばかにすること。
もちろん、私の行為にもケチをつけたりダメ出しをします。
お父さんは何もしないし、何もできない、認知症になってダメ人間になっちゃったよ。
○○ちゃんは××高校に行って△△大学に行って公務員か先生か医者になってね。
(オセロのゲーム中の孫に)あぁ、そこにコマを置かなくちゃ勝てないよ、そこよ。
○○ちゃんのお父さんはいつも犬たちと仲良しで留守番してるだけだね(実家に来ないことを嫌味で言ってる)
女性でも仕事をしていないのはダメだ。私は幼いあなた達をおいてずっと仕事してきた。
母親自身が考える理想の「夫」「孫」「義息子」「娘」を、「ないない」と言って求めている様です。
なんとも切ないです。
今、こんなに幸せなのに。
こんなに恵まれているのに。
ただ、全否定されているのにお父さんは怒りません。スルーしています。
息子たちは、「ほっといて」「わかっているから」とほどよい距離感で流し、お小遣いをせしめていきます。
オレのことはいいから。
なんとでも言わせといてくれ。
あとで泣かれるのが面倒だ。
大丈夫だよ、流せるから。
そういうの、おばあちゃんは言いたくなっちゃう人だから。
ああ、また言ってるなぁと思うけど、いつものことだから。
多分、君は自分の親だからこそ腹が立つんだよ。
私だけが、真っ向から受けて反撃をしています。
大事な子どもや夫、そして父を傷付けられたような気持になるからです。
しかし、それも、次男の解釈によると、「自分の一部である子どもや夫をけなされることは、自分自身をけなされているのと同じだと考え、結局は、自分のメンツのためだけに怒っているのと同じ。」とのこと。
夫によると、「老いた親を受け入れたくない気持ちもあるんだよ。いつまでも元気でいてほしいという願いがある。」とのこと。
ん~~~~若い時は親も若かったから距離をとって逃げられたけど、この年になって改めて感じる母子関係のややこしさ。もうしばらく、介護の問題と一緒になって悩まされそうです。