文化祭での涙

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長男が通う高校の文化祭は先月終わりました。

長男は高校2年生なので2回目の文化祭ですが、昨年の文化祭が楽しくて今年はそこに関わりたくて関連する委員会に入っていました。

ステージ発表はzoom

吹奏楽やダンス部などのステージ発表は1日目でしたが、コロナ禍でしたから、1日目ステージ発表はzoomで、各教室で、ライブ配信を観る、という状況だったようです。保護者も希望申請すればそのzoomに各家庭で参加できたようです。

2日目のステージ発表は「クラス発表」でしたが、これは各クラスがそれぞれ順にステージ発表し、それ以外のクラスはライブ配信を各教室で鑑賞したそうです。

各学年ごとに、例えば「ダンス」という課題のようなモノが決まっていて、その中で順位が付けられたようです。基準は知りませんが、人気投票でしょう。

各種イベントが中止になる中、3年生にとっては最後の文化祭という思いが強く、委員会も実質三年生の独壇場だったそうです。2年生の意見は聞いてもらえず、かなり長男的には不満そうでしたが‥‥。

3年生が泣いてた…

撮影者や関係者の感染拡大防止のため、ステージ発表の際には、その前の3メートルは立ち入り禁止でした。

この立入禁止エリアに入ったら、発表中でも「即撮影中止(発表中止)」にします。

という、ルールになっていたそうで、その管理は実行委員ではなく、体育館に入室していた教員が対応していたそうです。

さて、前評判の高い3年生のあるクラスの発表映像が始まりました。ストーリー性のある内容で、これから全体が盛り上がる場面に移るという直前、一人の男子が中央に出てワンマンショーが見せ場です。その時、上着を脱いだはずみで、付けていた手首の飾りがその「立入禁止エリア」に飛んで入ってしまったそうです。もちろん、その後のストーリーに必要な飾りだったので、慌ててその男子は取りに行った、その時です。

「発表中断してください。」

女性教員の一言で全てが止まり、ライブ配信が中断されたそうです。

スクリーンを観ていたすべてのクラスでは突然、映像配信停止。

その3年クラスの発表が続くことはなかったのです。

その3年生たちが体育館から退室し、長男のクラスの前の廊下を歩いて行く際に、数人が泣いていたそうです。

高校最後の文化祭、クラスで考えたステージ発表。しかも優勝候補。

故意とは思えない状況下での、教員の即決判断で、それらすべてが無くなってしまったのです。

ルールが守られなかったから、という理由だけでなく、感染拡大防止策がとられている状況下で、何がそれほど危険な行為だったのかを、説明をしたらよかったかもしれませんね。

※ただし、これは長男側から見た個人の見解なので、実際にステージ上やその周囲で何が起きていたのかはわかりません。

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修学旅行、どうなる?

高校2年生の長男は、本来ならば、この秋、海外へ修学旅行に行っているはずでした。

もちろん、夏休み前、既に修学旅行中止は決定していますが、”3月に国内旅行”、の可能性が残っているらしく検討中のようです。

中学3年の次男も、8月に予定変更されていた修学旅行は中止ですが、日帰り旅行を検討中という学校側の説明。次男は、もともと拒否しているのでどのような形でも参加しないでしょう。

修学旅行は、明治期に文部大臣・森有礼が軍事教育の一環として「行軍」を推奨したことが起源のようです。もちろん、交通網の発達や時代の変化により、目的も方法も変わっているので、「行軍」とは思えませんが、次男にとっては決められた班やクラス単位で、決められた行程を時間通りにめぐることは、「行軍」に近い感覚のようです。

その割には、学びが少ないというか、たんなる「思い出作りのため」になっていないでしょうか。寺院や街の歴史を調べて、見識を広げることは教室や家庭学習でも可能。わざわざ現地に行って本物に触れ学びの場になるならいいのですが…実際どうなのでしょうか。

旅行会社が計画してくれて、連れていってもらう修学旅行で、何が学べるのでしょう‥‥。

なんと…文科省が

修学旅行客を経営の主軸にしていた各地の旅館・ホテル、観光地がこのコロナ禍、困っているという報道もあるためか、文科省は、以前より可能なかぎり修学旅行を実施してほしい旨を発信していました。

それがさらに、10月2日には「修学旅行等の実施に向けた最大限の配慮について」という文書を全国の教育委員会等に発出しました。萩生田大臣は同日の記者会見で「修学旅行は子どもたちにとってかけがえのない思い出であり、教育効果の高い活動なので、感染の拡散防止策を適切に講じた上で、ぜひ実施していただきたい」と述べ、既に中止を決めた場合でも改めて実施を検討するよう求めました。

よけーなことすんじゃねーよ。

かけがえのない思い出になる生徒にとってはよいのでしょうが、そうでない生徒もたくさんいることをご存知なのでしょうか。

子どもたちの安全安心とは

修学旅行に関しては、その学習効果と費用、子どもたちの多様性なども加味して、各学校で検討してみることがよいと思います。

そのうえで、修学旅行として行く意味や効果があると判断したら、このコロナ禍において最大限の配慮をして「安全安心」な旅行を計画すればよいと思います。つまり、コロナ禍が先ではなくて、修学旅行の目的が先だと思います。

一方、「思い出作り」が目的ならばそれに合う方法をみつけるだけです。

繰り返しになりますが、文化祭において、「立入禁止エリア」を最優先にして、発表を中断させてまで守る意義があるルールなのであれば、教員はそれをきちんと説明すべきです。

でも、その瞬間「高校最後の思い出作り」を優先させていたら、発表中止にはしなかったでしょう。

「立入禁止エリア」が生徒の安全安心にどれほど有効なのか‥‥?

自分たちを守ってくれるための「ルール」ならば、生徒たちはそれを守るでしょう。
それがいつしか「ルール守るべきになっていませんか?
ルールがあることで守られていたはずが、いつのまにか、ルールは守るためにある、という本末転倒に。

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思い出づくりは押し付けられるもの?

まぁ、そもそも「思い出づくり」は、他人や学校から押し付けられるものだろうか、ということがありますね。

修学旅行は、結果的に子どもたちの思い出となる行事なので、という意味だと思いますが。

次男の不登校友だちのママと話しているのは、「思い出づくりや旅行目的がメインならば、なにも学校でやらなくても、気の合う友達と行けばいいじゃないか」ということです。

我が家では、積み立て金が返金されたら、受験期を避けて、子どもたちに計画させて思い出旅行に行く予定です。

一方、高校からの回答待ちの長男は、ジェットコースター等の乗り物が苦手なため、高校生の安易な「思い出作り」発想で、行き先はテーマパーク!なんてことにならないように祈っているところです。

思い出はそれぞれ

「思い出」について考えてみます。

同じ場面を共有しても、それをよい思い出として持っていくか、二度と思い出すことのないものになるか、人それぞれです。

よく言われるのは、「思い出」は全てを記憶していると。
つまり、「思い出」は場面的な記憶だけでなく、その時の情景や匂い、交わした会話や感情、その日の天候や時間などまで覚えている、ということです。

例えば、私が中学生まで一緒に暮らしていた祖父の思い出には、祖父の部屋の古臭い感じのニオイやジョリジョリした髭の感触のようなものまでが含まれています。

一方、「思い出」って真実とは限りませんよね?

勝手な価値づけをしたりして、自分の心の中で変化していくような気がします。もしかしたら、都合の良い記憶になっている場合もありそうです…。

私の学生時代の一番の思い出は、修学旅行や行事ではなく、何でもないような日常の場面とか場所が一番の思い出になっているので、おそらく、子どもたちの思い出もそういうものではないかと思います。だからこそ、日常を大切にしたいし、何気ない写真を時々撮りたくなるんじゃないかなぁ。

今は、スマホがあるから便利です。

昔は写真を撮ってから現像して目にするまで、何が映っているのかわからないという状態でしたし、写真を手にする頃には、「こんな写真撮ったっけ?」と撮った記憶もないなんてことも。まぁ、写真は思い出そのものというよりは、「しおり」のようなモノで、そこから記憶がよみがえっていく感じですかね。

話は戻りますが、今回の長男の高校における「ステージ発表中止」の場面も、やらかした当事者、あるいは発表クラスの一人、鑑賞中の一人、中止させた教師、それぞれの記憶にどう残っていくのか、また、その意義についての解釈は時間経過とともに変化する可能性もあるでしょう。それぞれに、記憶につぎはぎされてよい思い出になってくれたらいいですね。

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Posted by カトラ