NHKスペシャル「ボクの自学ノート」をみました

NHKスペシャル「ボクの自学ノート」は1年前の2019年5月に放送、11月に再放送され反響も大きかったようですが、その時は全く知らず、昨夜偶然、NHKBSで再放送されており視聴しました。
2019年で17歳の梅田君は、我が家の息子たちとほぼ同い年。しかも、彼の部屋にあるガンプラの山が、我が家の息子たちのそれと重なります。
小3から学校の宿題として「自学ノート」が始まったのも、まさにドンピシャ。
我が家の子らも小4、小2から「自学ノート」が宿題になりました。
「自学ノート」が宿題って?
我が家の場合、「自学ノート」の購入を求められたところから始まります。
「自学ノート」って何を書いていくの?
どんなノートが必要?
宿題とは別に、必ず1ページ分、何か勉強してきなさいって。(小4)
好きなこと何でもいいから1ページだって。(小2)
当時のことはよく覚えてはいないのですが、確か、「子ども自身が、自分で課題を見つけ、1ページまたは数ページ、家庭で学習」して、「学ぶ力」とか「主体性」を身につける目的と、説明されたと思います。
宿題になっている時点で「自学」ではないような‥‥
で、結局、長男は「興味のある課題」は見つからず、毎日漢字練習を「自身のノルマ」にして続けました。
コツコツとか努力が好きではない長男ですが、このノルマは小学校卒業までほぼ毎日やり遂げ、そのおかげだと思いますが、長男は漢字は今でも得意です。
「自学ノート」を毎日見てくれるのは担任の先生だったのですが、残念ながら当時は先生方の意識もあまり自学ノートに積極的ではなかったため「ノートに何かやってくればいい」という程度だったようですし、未提出の子も多く、毎日、宿題以外にノートを提出していたのは長男のクラスは半分程度だったとか。
おそらく、毎日やってくる子と、いい加減な子の二極化していたのでしょう。しかも多くが、「自主学習」というより、漢字か計算を余分に1ページしているだけだったようです・・・・。
自主学習って
番組の梅田君は、小3で自学ノートが始まった当初、新聞を読んで気になった記事をノートに貼り、それについての自分の考えや感想を書いていました。気になった記事の現場に足を運んだり、その後の追跡記事もピックアップしていたり、毎日新聞を読んでいるであろうことが分かりました。しかもそれは高校生になった現在も続いているそうです。
「新聞には自分が理解できることも載っている。面白い。」と梅田君は気が付いて、面白いから新聞を読んでいるわけです。もちろん、彼の自学ノートは新聞記事だけではありません。
そうして、毎日、新聞記事や出来事を元に「自学ノート」でまとめる過程で、見識だけでなく、文章力や表現力が身についていったのでしょう。彼は「子どもノンフィクション文学賞」で大賞をとっています。
番組の中で紹介された彼しか見ていませんが、「現場を確認しに行く積極性」や「気になったことは納得できるまで追い続ける思い入れや継続性」、「自分の見聞を表すための自学ノート」、「ネタ集めの新聞読解や他者からの見識を得るための突撃訪問」など、彼に培われた能力は「自学ノート」を「宿題」にした教育者の期待を上回る成果ともいえるのではないでしょうか。
では、彼はどうしてそこまでできたのかなぁ。
なぜ、我が家の長男のように多くの子が、小学校で「自学ノート宿題」が終わった時点でそれを止めてしまうのか、「自主学習」が身につかないのかな?
できない探し…
梅田君に対して周りの人は、「青春してない」「コミュニケーションできない」「普通じゃない・変わっている」など評価しています。
お母さんは中学校の先生から「社会で生きていけない」と言われたことで傷つき、心に残っています。
おいおい…
学校という場は「集団教育」なので、ある一定の協調性がないと厳しいのは現実ありますね。でも、同じクラスの子としゃべらないとか集団行動しないという部分が「乏しい人(苦痛な人)に対しての評価がかなり低い」いや、「まったく評価しなくなっている」と思います。
梅田君がどう思っているかはわかりませんが、クラス登校していない次男の言葉を借りると「いやいや、いじめをしたり、許したりするクラス、また、したくもない同調行動を協調性と勘違いしている人たちと会話したくないし、そんな低レベルな会話なんてつまらないからしないだけ。まぁ、オレのコミュニケーション能力は低いってことかもしれないが。」‥‥
梅田君も次男も、見聞の広い大人と話すこと、質問することをためらう様子はありません。コミュニケーション能力低いなんて思いません。
むしろ、梅田君にかかわった博物館の館長や司書さんなど大人の方が、刺激や影響を受けている様に見えました。
一人の青年のまっすぐな想いが「まわりの人々に大きな影響や波紋」を起こす。
青年がアポなし訪問をしても、人として向き合ってくれて、彼を評価してくれる。そして彼が謝意とともにつながりを持ち続けている。
お母さんが中学校の先生から「社会で生きていけない」と言われたことも大いに疑問です。
学校側は「教えている授業と、教えられない分野の能力」を同じに評価しようとしていないでしょうか。
中学校の先生が知っている「社会」がどんなに狭い小さな「社会」であるのか、先生自身が気がついていないのでしょう。梅田君が、これから生きていく「社会」は先生が知っている「社会」とはおそらく違います。
自分の能力を認めない中学校は梅田君にとって「面白くない場所」でした。
夏休み、冬休み、春休みを唯一の心の救いとして日々はなんとか登校していた「どうにかこうにか中学生」だった梅田君。でもその梅田君のすごいところは、面白さを感じない学校だったのに一日も欠かさず登校したところです。
イヤなことからも逃げない忍耐強さも持っているわけだから、社会的スキル十分でしょう。
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次男の自学ノート
この番組を見て、一番強く感じたとこは、「私が次男の可能性をつぶした」という後悔です。
実は、次男が小2から始めた「自学ノート」は、最初「工作ノート」でした。
学校から帰ってくると、いつも次男は何かを作っていました。
魚の形をした醤油入れで「浮沈子」を作って、その原理を調べてまとめたり、木のブロックを組み合わせて立体パズルを作ったり、とても面白いものでした。「松葉のソーダ」で作った液体を「飲め」と言われた時は、少々ビクつきました。
新しいことを知りたくて、「科学館」とつくところ行くのが好きでした。そして、そこで仕入れてきた知識や情報を元に何かを作ったりまとめたり。
小学校では「総合」の授業で、中庭に原始人たちが作ったような竪穴式住居をみんなで作ったり、流しそうめんをやったり楽しい小学校ライフでした。
しかし、5年生になり担任もかわり、「自学ノート」の内容も工作はダメってことになりました。
それから次男は、算数のプリントを毎日1枚やっていくことですませるようになってしまいました。
なぜ、続けさせなかったんだろう・・・・
後悔しかありません‥‥。
私は、人と違うことをすると浮いてしまうのが嫌だから、学校側の意向に従って、従わせたのだと思います。
あんなに楽しそうにしていたのに・・・・。
梅田君のお母さんは息子の「好き」を止めさせることなく、応援し続けました。
そこだな、違いは・・・・。
中学校に入っても、部活もせず、友達もいなくて、かといって勉強するでもなく学校から一目散に帰ってきてすぐに自学ノートをしている息子を見たら、私だったら、何か口出しをしてしまいます。
・‥‥
梅田君とお母さんが好きな言葉として、壁に書いて貼ってありました。
大切なのは なにかひとつ 好きなことがあるということ。
そして その好きなことが ずっと好きであり続けられることの旅程が驚くほど豊かで君を一瞬たりとも飽きさせることがないということ。
そしてそれは静かに君を励まし続ける。
最後の最後まで励まし続ける。
~「ルリボシカミキリの青」福岡伸一 より~
梅田君の「自学ノート」についての印象言葉は
「変わり続けるために、変わらないを続けていく」
「このノートは僕の歴史年表だ。これからも静かに僕を励まし続けてくれる」
自学ノートを中断させてしまった私が罪滅ぼしとして、
次男を励まし続けようと思いました(笑)。