ドラマ「引きこもり先生」第4回「戦場」みました

不登校

先週に引き続き、NHKドラマ「引きこもり先生」を観ました。

ネタバレがあるので、ドラマ(再放送NHK総合7月8日(木)午前2:35~午前3:25)を観たい方は読まないでください。

前回のお話で共感したのは「居場所」でしたが、今回第4回の中で響いたのは

学校、気持ち悪い」でした。

4月から高校に通っている次男ですが、

中学2年から不登校になり、卒業まで中間教室で過ごしました。

まだ、当時のことを冷静に思い出したり語ったりできるほどではありませんが、

このドラマ「引きこもり先生」を観ると、少し、俯瞰的に振り返ることができているのかもしれません。

「気持ち」が身体症状に現れる

「引きこもり先生」第4回では、

不登校の生徒さんたちは「サボっている」「ラクしている」と思われているけれど

本人たちの「苦しみ」は計り知れない、ことを伝えていました。

もちろん、全てが理解されたとは思いませんが。

例えば、

中学2年の女子が、「クラス内いじめ」を見て知っている。
担任も他のクラスメートも見て見ぬふりしている。
そして「何も言えず、助けてあげられない自分自身に対して何よりも憤りを感じている。」
すると中学校へ行くことが苦しくなる。吐き気が止まらない。

あぁ、そうだった。

次男のクラスにも「いじめ」があった。
それをみんな知っていた。
標的が次々に変わっていく。
次男がその標的になり、担任に伝えたが、対応してくれなかった。
むしろ、いじめを扇動する女子を擁護している。
もちろんクラスメートも。

次男は、その「いじめが苦」でクラスに行けなくなったわけではなく、
いじめを放置しながら「良いクラス、良い担任」を演じているそのクラスの雰囲気を受け入れられなくなっていたのです。

「クラスが気持ち悪い

そして、「学校へ行きたくない」「行きたいけれど、行けない」という言葉で表現できた次男は、実際に嘔吐することはありませんでしたが、かなり、精神的には消耗していました。

おそらく、この「気持ち悪い」と感じている自分自身の感覚を具体的表現することは難しく、一方でそう感じる自分がおかしいのではないかと自分で自分を責めていたんだと思います。

ただ、その気持ち悪い」という感覚は、私自身が担任と話した時に感じた「違和感」を表現するのにぴったりだったので、担任に対して全く信頼感を持てなかった私たち夫婦はとてもよく理解できました。

「クラスに戻らなくていい」というのが我が家の考えで、中間教室を選んだわけです。

担任は中間教室は「弱い者が逃げる場所」と公言していましたが。

もちろん、子どもさんによってそれぞれ不登校になる原因やきっかけも違うので、その対応も異なります。

次男でさえ、仲の良かった友だちの不登校の原因は「わからん。多分オレのとは違う」と言っています。

伝えられない苦しさ、 伝わらない苦しさ、 助けたい苦しさ、 助けられない苦しさ・・・・

あ~~~~~~~苦しい。

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ヨーダ氏が余命宣告?

前回も書いた通り、我が家はこのドラマの依田」氏のファンです。

前回「恋」に浮かれていたマスター・ヨーダが、今回、救急搬送の上、余命宣告。

人生において、10代で父親との確執があり(?)その後、父親への復讐のために20年も引きこもりをしてきたヨーダ氏。恋をきっかけに社会とのつながりを作ろうと気持ちが動いたとたんに余命宣告。

ちょっと・・・辛すぎる。

過酷な定めを受け入れられない状態でしょうにヨーダ氏は、

佐藤二郎さん演じる「再び引きこもりになりそうで苦しむ上嶋先生」の部屋に来てくれるんですよ。

さすが、マスターヨーダ

引きこもりでも友だちだからその苦しみがわかる・・・
助けたいって気持ち
おまえは時間があるからいいだろ・・
自分を必要としてくれる人の存在を確認したい・・・

ヨーダ氏の気持ちも想像すると苦しい・・・

次男が、同じ中間教室に通う友達のことをとても心配していたのと同じかな・・・

ますます、ヨーダ氏から目が離せません・・・

コロナで常識が変わる?

前回、今回のドラマ設定は2019年~2020年1月くらいで、コロナ禍以前のお話でした。

来週は、日本中の学校が突然一斉休校になる2020年3月のお話のようです。

学校へ行くのが当然、という価値観のような、常識のようなものが、あの一斉休校で変わりましたよね。

政治家の掛け声1つで、翌日から授業が無くなり、卒業式が無くなり。。。

そして、新学期になってもそのまま各種行事や目標だった大会やイベントもなくなくなり・・・

児童・生徒と学校・教師との間の信頼関係が壊れた(?)時期だったなぁと思います。

むしろ、信頼関係がもともとなかったから
「学校は来るなという、こっち(子ども)の気持ちは無視
先生や学校は子どものことを見ていない
「学校へ行く必要性があるのか?」
「学校へ行かなくても学習はできる」
「学校の存在意義って何?」
とみんなが気が付き、考えたのかもしれません。

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自分自身を見失わない

私たち親子も中学時代の「不登校」を克服したとは思っていないし、

心のどこかでまた「何かのきっかけでまた、心が辛くなること」があるかもしれないという不安はあるし、その時にまた「不登校」「社会と断絶」という問題に向き合うことになるのではないか、という心配はいつもあります。

不登校の経験がある親子は、きっと同じではないでしょうか。

この社会のどこにでも「いじめ」はあるし、きれいごとではすまないことに気が付いているから。

かといって、いくら抗いながら頑張っても社会は変わらない。

いや、抗ったり、声を上げたりすることさえしない自分や

見て見ぬふりをしている多くの大人と同じになっていく絶望感。

そんな社会で生きていくことが、辛くて耐えられないかもしれない。

学校がもし、子どもたちが自分自身をすり減らしていく場所ならば、居場所として安全なところに逃げていけばいいと思う。

再登校した朝、腹黒校長が「無理をしないでくさい」と上嶋に声をかける。

すると上嶋が「いえ、無理をします。学校を子供たちに安全なところにしたい。」と言います。

毎回、観ながら泣いてしまうし、次男の体験と重なりつらい場面もあり、苦しいけれど、きっと来週も見ます。

不登校

Posted by カトラ