悪役俳優さんは日常ではいい人なんですって

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時代劇では、勧善懲悪ものが多かったり、主役には敵が登場するため必ず「悪役」がいます。

その俳優さんが出てくると「こいつが黒幕だ」とか「こいつが敵だ」と誰もが即認識してしまうほど「悪役」が板についている俳優さんもいますよね。

先日亡くなったと報道された亀石征一郎さんもその一人。

子どもの頃、時代劇でこの人が画面に出てきたら「悪いヤツだな」と少なからず憎々しく思っていたほどです。

さらに悪役といえば、性格が悪く、あくどい考えを持つ人物という設定で、それが演じているのではなく実生活のその人自身であり、結局プライベートでも「悪い人」と誤解してしまう子どもでした。

でも、大人になってから知ったのですが、「悪役」を任せられる俳優さんは、普段はとても「いい人」なのだそうです。

悪役を演じてくださる俳優さんへの敬意も込めて、

「悪」ってなにかなぁと考えたことをだらだら書きます。

悪役も見方を変えれば

ドラえもんのジャイアンだって、映画になると友人想いのいいヤツになるし、

バイキンマンもドキンちゃんにかたなしのところはなんだか憎めない。

スターウォーズのダースベーダーもその背景を知るにつれ愛ゆえの苦しさに共感したり、、、

ガンダムの赤い彗星シャーは悪役といわれる以上に人気を主役と二分していると思うし。

そうそう若い頃は悪役が定番だった西村晃さんは晩年水戸黄門役でしたね。

必要悪

「悪」というと、忌むべき存在というイメージが強い。
しかし、時と場合によっては「悪」というものは無くてはならない場合もあります。

よく言われるのがタバコやアルコール、車など・・。

タバコは健康に害なす嗜好品でありよく禁煙が呼びかけれているが、完全に禁止はされていない。
そうすれば犯罪組織が密かに作るなりして返って状況が悪化してしまうといわれているためです。
国としては税収もなくしたくない要因の1つでしょう。

また、「悪がいるからこそ自分達の正しさが証明できる」という裏返しにもなり、強大な悪の存在によって集団の結束が促される事があります。

ある国を仮想敵国にして、国民の危機意識を高揚させる手法は政治ではよくあることです。

最近の日本では、「酒販店への取引停止の要請」、金融機関からの働きかけ要請、というのもこの類でしょうか(撤回されましたが)。

今回の酒販規制の失策は別として、

「必要悪」という考え方は存在ます。

 よくないことではあるが、社会や世の中にとって必要で、なくすわけにいかないものやこと。

日本語大辞典

つまり、それが存在しなければより強大な負の要素を招いてしまう場合に必要とされる悪が「必要悪」です。

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反対語、対義語

さて、ここまでの流れで考えると「必要悪」の対義語は「絶対悪」となるのかな?と思ったのですが、

先に書いた通り、立場や見方が違えば「正義」も「悪」もそれぞれとしかいいようがないわけで、

百歩譲って、「〜にとっての絶対悪」という言い方しかできないでしょうね。

全ての存在への絶対悪と言うものはないはず。

字面から・・・「必要悪」⇔「不必要善」???

これもしっくりこないけれど、イマージはできそう。

現代の過剰なまでの正義感を振りかざし、ネット上で攻撃的な言葉を投げるような「自粛警察」などかなぁ。

ということは「不必要善」⇒「偽善」???

偽りの善」と書くから善ではないってことになり、
善ではないものが善を偽るのであるから、悪になる?

ということは、偽善ということ?

ただ、偽善だとしてもそれで救われる人がいるなら、それは素晴らしいことだと思いますし、

「偽善者」と非難されてしまうのは、善をなした人自身が自分をよく見せようとしたり、それをネタに 注目を浴びようとか、困っている人を利用した卑怯な人だ、と見られるからであり、

やはり、立場によって「善」にも「悪」にもなる、ということになりそうです。

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ここは今から倫理です

今年の春先、NHKで山田祐貴さん主演、「ここは今から倫理です」というドラマがありました。

同名のコミックをドラマ化したものです。コミック本は手に取ってないので内容を知りませんが。

全8回放送の中盤で「善と悪」の回がありました。

闇側の社会に暮らしているジュダという人物から自分の生徒を取り戻すために山田祐貴さん演じる高柳先生が対決します(論じ合う)。

ジュダが「人間の根本は悪であり、いくら善ぶっても人間は悪をなし続けているではないか」という主張します。

倫理を言語化するのは難しいので、誤解釈があったらごめんなさい。

私がこのドラマの中で理解したのは、「流されず、常に考え続けなさい」というメッセージです。

先ほどのジュダのセリフで、「ユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンの裁判」を傍聴して報告したハンナ・アーレントの言葉を使っています。

彼(アドルフ・アイヒマン)はあまりにも「普通」の人間で、邪悪な動機もイデオロギー的な信念ももっていなかった。ではなぜ、そのような「普通」の人間が、途方もない悪を為してしまうのか。
ここには、自分の行為の意味を深く「考えない」こと、つまり「無思考」が深く関わっているのではないか、と。

ハンナ・アーレントでなくとも、「ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人虐殺計画を指揮したトップ」というプロファイルからアドルフ・アイヒマンを「冷徹で屈強なゲルマンの戦士」を想像するでしょう。

でも実際のアドフル・アイヒマンは小柄で気の弱そうな、ごく普通の人物だったのだそうです。

しかも、アイヒマンには、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして、この恐るべき犯罪を犯すに至ったというのです。

そしてハンナ・アーレントは「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と報告しました。

おそらくシステムとは、「当たり前」と思っている現代社会そのもの、仕事、日常生活など今、自分の回りにあるものでしょう。

その中で、何も考えずにそれを遂行すること

「悪」は「これをやったら悪だな」と思って能動的に実行することよりも、「悪」を意図することなく受動的になされることにこそ「悪」の本質があり、それは誰もがしてしまう可能性がある、ということです。

私は、当たり前の日々の暮らしや仕事の中で、システムの持つ危険性について批判的な態度を持てているか、あるいは少し距離をおいてシステムそのものを眺めるということをしているかと考えると、していません、としか言えない。

あ~~~~
私は、悪だ・・・・

先のNHKのドラマでは「倫理とは考えることと一体のものだ」ということを伝えてくれたのだと思いますが、考えるってしんどいんですよね。

ドラマの中では、高柳先生からの問いで、考えることから逃げていた自身に気が付き、自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを見つけていく高校生が描かれていましたし、

高柳先生を論破したジュダも、「人間の本質は悪」と言いながら、これからも高柳と議論したいと言っています。

そう、考えるって孤独だし、一人では難しくて、誰かに寄り添って欲しいんでしょうね。

いやぁ、ちょっと理屈っぽい文章になりました。

大学時代の「倫理学」理解できずお手上げでしたが・・・

誰のため、なんのためじゃなく自分のために

正解のない問いについて、時々は、考えてみるのもいいと思います。

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Posted by カトラ