死んだあとは記憶の中で生きていく

お彼岸でお墓参りに行った方も多かったと思います。
我が家のお墓は実家の近く、歩いて行けるくらいの距離ですが、足が弱くなった両親は車で行きます。
週末、実家に行った際、話の流れで介護の話になりました。
ここに居たい
今のところ85歳になる両親二人で暮らしていますが、毎年、いえ、日々老いています。
二人だけでは不安なこともある様子。
夕べはお母さん、頭痛いって言って早く寝たんだよ。
頭痛いって・・・血圧は低かったようで・・・
寝たまま何かあっちゃいけないと思ったよ。。。
母に何かあったら、どうしたらいいのかきっと父は不安だと思います。
そりゃ、心配になるね。
でも、どうしたい?
松本で一緒に暮らす?
いや~、できればここに居たいなぁ。
お前さんが毎日様子見に来るってのは難しいだろうから・・・
週1回ってもんか・・・?
ココで暮らすって言ったって、無理になったら仕方ないでしょ。
お父さんは、絵空事のようなことばかり言って、もっとちゃんと考えて。
まぁ、実際、無理かどうかってこともあるけど、気持ちで「ここに居たい」のかどうかってところ。
気持ちっていうより、実際にできるかどうかが問題でしょ?
えっ?気持ちじゃない?どうしたいのかっていう気持ちを知りたいと思っている。
もちろん、その気持ちに添えるかどうかはわからないけど。
このまま老いていく
もう年をとって、あちこちガタが来て、すぐ忘れる。
汗をタオルで拭うと、汗と一緒に忘れてる感じだよ。
右耳はもう何も聞こえないよ。目は見えなくなってきたし、右耳もダメになってきた。
そこがおかしいって言っているの。
ダメになってきたとか、って、そう思うならちゃんと治療すればいいと思うのに病院にも行かない。
目も耳も老化だと言われて、メガネと補聴器でしょ?
うん、年をとるってこういうことだと思うよ。
まぁ、みんな、最後はこう思い出して欲しいというのがあって、そう思ってもらえるように生きてるんじゃないかな。
えっ?どう思い出して欲しいの?
うん、そうだな。
あのじいさん、冗談やバカばかり言ってたけど、ただのばかじゃなかったなぁ、って(笑)
毎日楽しく生きたいよ。
ねえ、お母さん、最後まで仲良く行きましょうね。
そう思うなら、目や耳の治療をして、もっと自分でいろいろやってくれればいいのに。
母は父の世話がいろいろ増えているようで、不満があるようです。
そこは、そんなトゲトゲしないで、仲良く行きましょうって言っとけばいいんじゃないの?
すぐ忘れるって言っているんだし。
それに、「老い」を受け入れているのは悪いことだとは思わないよ。
お母さんの方が、「若さや理想」にばかり縛られている感じ。
どうしたいか、っていう気持ちはそれぞれだし、いい悪いはないし、正しい間違いはないと思う。だから、やっぱり、どうしたいかっていう気持ちが大事な気がする。
年老いた両親は、今日私と交わしたこの会話をきっと覚えていないと思います。
忘れるからいいんだよ。
また(同じ)話ができる。
また来て話をしてや。
ああぁ、うん。
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記憶の中に生きる
お彼岸のお墓参りや両親との会話で考えました。
老いて死ぬということは、この世から肉体が無くなる死。
でも、生きている間も、死んでからもさみしいのは、思い出してもらえなくなった時なんだなぁって。
残された人の記憶の中で生き続ける、というよく聞くことは、本当なのだと思う。
あっ、私は、高校の時、お父さんが毎夜、バス停まで迎えに来てくれたこと忘れてないよ。
大事にしてもらって感謝している。
と言ったら、父がウンウン、と頷き嬉しそうにしていたので、今日はちょっと親孝行した気分。
きっと、これも父は忘れちゃうんだろうけどね。
まぁ、いいか、また同じ話ができるから。