絵本たちの第二の人生を考える

片づけをしている中で出てきた硬貨の話を書きました。
もう一つ、思っていた以上にたくさん出てきて処分を悩んでいるのが「絵本」です。
今年19,17歳になる息子たちが小さいころお世話になった絵本たち。
赤ちゃん絵本から始まって、小学校中学年頃までは絵本が中心。
それ以降は自分で図書館で借りてくるものも購入するものも文字が多くなっていきましたから。
絵本の選別もむずかしい
片付けの中で、写真や思い出の品ほど選別の難しいものはありません。
普段から思い入れが強いものは身近においておきますが、
「ふと」見返したとき、あの日の思い出が蘇ってくるアイテム。
しばし時をさかのぼり、思い出に浸ってしまうこともあります。
時には、その思い出に気持ちを支えてもらえることも・・・
中でも、子どものものはなかなか「さよなら」できません。
しかし、すべてのモノの保管ができるスペースがないことも事実。
さて、今回、初めて片付け対象として「絵本」に着手しました。
いままでは、子供たちの洋服やおもちゃなどを片づけたり処分したりしてきましたが、
「絵本」はずっと家に保管し、いつか「孫」に読んであげたい、だから片づけない、なんて思っていました。
でも、この先、子どもと触れ合わずに十年以上本棚に眠る可能性がある「絵本」たちを想像すると不憫です。
絵本の思い出
絵本を「さよなら」できない理由はその絵本の値段や価値ではないんですよね。
「孫」に息子たちと同じ絵本を読んであげたい、というセンチメンタルな気持でもありません。
絵本を開くと、このお話のこのあたりで息子たちがどんな表情になったか、とか
長男のお気に入りの絵本は「どうぞのいす」で、次男は「ネズミくんのちょっき」の方が好きだったなぁ、とか
11ぴきのねこシリーズは何冊もそろえたり、どうぶつのふしぎについての絵本は興味津々だったし・・・
写真と同じように、あの時のあの瞬間に戻ってしまうんですよね。
もう、絶対に「さよなら」できないと思った絵本は残しました。
それ以外、まずは「おしりたんてい」や「ゾロリ」、「サバイバルなんとか」のようなシリーズ本はブックオフに持っていきました。
やはり値段がつくので、それなりの需要があるのでしょう。
やはり、絵本たちは読んでくれる子どもたちのそばに居たいんじゃないかなぁ。
我が家には「残す」と決めた以外にまだ200冊くらい迷っています。
息子たちがこの絵本たちを開くことはないでしょう。



お世話になった「絵本」たちに第二の人生をお返ししなくては・・・
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絵本を届けるには
絵本を寄付したくても、直接引き受けてくれる図書館はありませんでした。
が、調べると絵本を寄付できる情報もありました。
また、海外の子どもたちに送る、という取り組みもありましたが翻訳ラベルの都合上、決められた絵本だけでした。
さらに、「絵本」を使った寄付、はネットで調べるといくつかの方法がありました。
例えば「不要な本」をまとめて送る方法、または価値のある(売れる)本を事前にISBNで調べてそれらだけを送る、という方法がありました。そして、そこで買取された金額がそのまま寄付金になるというわけです。
確かに、絵本が役に立つのかもしれない。
どうするのがいいのかな、この絵本、あの絵本はちゃんとどこかの子どもさんに届くのかなぁ。
結局、私自身の気持ちをどこに落ち着かせるか、ということでしょうね。
絵本ではなく私自身の興味関心で読んだ「本や雑誌」などは不要になれば手放すことに躊躇はないのですが、
「絵本」とのサヨナラがこれほどつらいとは思いませんでした。
この絵本、あの絵本、どれも思い出が引っ付いているのですが、それをはがして送り出さなくちゃ。
まだ、時期ではないのかな?
私自身の本などのモノ、洋服などは、進学や就職、結婚や引っ越しなどのたびに見直して、少しずつ手放しています。
人生の経過とともに「大切なもの」が変わってきたのかな、学生時代の苦労した思い出のモノや職場でいただいたモノも、今ではほとんど手元にはないし、実際、数年前は「さよなら」できなかったものがいとも簡単に今日は「さよなら」という判断をしている。
一度に全部きれいに片づけることはできなくても、数年ごとに見返すと案外、気持ちの整理がつきやすいものもあるような気がします。
もしかして、今の私には「絵本」とさよならできなくても、数年後にはできるような気持になっているかもしれません。
ということで、「絵本」の処分はちょっと先送りしようかな・・・・
「先送り」判断が汚部屋に
わかっています、気をつけなくちゃいけないですよね「先送り」の判断。
現在私の悩みの種でもある、実家の汚部屋やモノがあふれている状態はおそらく、両親の「先送り」判断の末路です。
「いつか使うかも」「誰か欲しいかも」「役に立つ」モノたちが今では、誰も欲しがらない使えないものたちになっています。
モノとして使ってもらう機会が再び訪れずにずっとそこで鎮座したまま埃にうずもれている。

なんだか人間のエゴで、モノたちの寿命を縮めてしまっているような気がします。
やはり、「先送り」もほどほどにして早めに決めよう、とは思います。