40年以上の付き合いで初めて聞いた友人の信仰…

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高校は別でしたが、10代から54歳になるまでずっと連絡を取り合っている友人がいます。

3、40㎞離れた場所に住んでいますが、年に1回くらいは会います。

この2年はコロナ禍で会うことはなかったのですが、先日3年ぶりに会いました。

毎回昔ばなしはお決まりです

10代から友だちですが、一緒に過ごした時間は中学生までです。

それ以降は、彼女が入院した際に私の高校が病院に近かったので2ケ月くらい毎日お見舞いに行っていました、

その後はグンっと会う機会は減ります。

彼女は高校卒業後休養したのちに就職し、私は他県へ大学進学して、20代は彼女の結婚式で会ったのを含めて5回程度遊んだくらいです。。

30代は多分、年賀状や電話くらいで、1回も会っていないと思います。

40代になり、私が長野県に戻ってきたので、年に1回くらい会うようになりました。

この40年の間にお互い結婚して家族構成が変わり、彼女は、転勤族のご主人と一緒に移動していましたが40代でステキな家を建てました。

そして、彼女はご両親を相次いで病気で亡くしました。

同級会は出ない彼女

彼女の夫は転勤族です。

約30年を振り返ると、彼女たちは松本を含む中信地区の市町村に住むこともありましたが、だいたい遠くだったし、

そのためか彼女は中学の同級会には1回も参加していません。

ということで、1年ぶりに彼女と会ったときは、近況を教え合った後は同級会等で得た共通の友人の話題を伝える感じです。

幼馴染と会うのは、仕事関係やママ友と会う感覚とは違いますよね。

毎回、過去に戻った感覚で同じような話を繰り返すことが多いと思いませんか。

でも、今回3年ぶりに会った彼女の口からは、私が初めて聞く話が多く、戸惑いました。

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「私、変わったの」という彼女

マスクはしていましたが、3年ぶりに会った際の印象は

本人が言う通り、「おや、何だかいつもと違ってイキイキしてる・・・」というものでした。

10代で大病をしたからでしょうか、彼女は常にネガティブな思考をするタイプでしたが、

今回会ったときは40年間に感じたことのないほど、顔色がよく、言葉にも「せっかくの機会だからできるだけやろうと思って・・・」など前向きな様子が見て取れます。

宗教・信仰の話

彼女がはなし始めたのは、自身の10代から自覚した信仰心でした。

彼女の両親、祖父母がある宗教団体に信仰があることは聞いていました。

でも私は彼女自身からは聞いたことが無かったし、結婚した相手もまったく信仰に関係ない職場で出会った人でしたから、結婚後は全く信仰はしていないのだと思っていたほどでした。

しかし実際は、高3で大病した後、就職が1年遅れた時期に、彼女は日々お題目を唱えて宗教にすがっていたのでした。

そしてまた、両親との相次ぐ別れやその後の兄弟間の確執など、精神的に辛い時にも支えとなったのはお題目を唱えることだったようです。

ゴメン、そんなに辛かったんだね。
言ってくれればよかったのに・・・

彼女自身は、心の支えとなる信仰があり、他者の幸せ、平和を祈ることに生きがいを感じているようです。

ご主人は現時点で入会してはいないのですが、

彼女は毎日、「どんなすばらしい信仰か」を夫に話してあげているそうです・・・・。

話をはぐらかしたものの

彼女の話を聞きながら、私はちょっと心の拒否反応があったので、話を他の話題に変えました。

それでも彼女が再び信仰の話に戻りそうだったので、「失礼。トイレです」と逃げました。

彼女はまるで「こんなにステキな教えをあなたに教えてあげないと、あなたが損しちゃうから」的な勢いで「あなたのため」アピールで話してきます。

今まで、彼女からこんな圧を受けたことがなかったのでとても驚きました。

「洗脳・・・?」私の脳裏によぎりましたが、同時に彼女にとっての信仰の意味を考えました。

彼女の話の内容にはちょっと矛盾があり、突っ込んでいけば論破できたかもしれません。

でも、私はそれをすることなく「ふ~ん」と聞くだけの態度に徹しました。

論破したら、彼女が心を閉ざすと思ったからです。

彼女にとってこの信仰は、自分や家、大切な人たちを守ってくれるもの。

とても素晴らしい教えばかりで、皆がこれを知るべきだ。

信仰をしていれば必ずいいことがある。私の人生でいいことがあったのはこの信仰のおかげである。

お金を徴収されたことはない(関連本などは結構な量を購入しているけど)。

他の悪い教団等とは全く違う。

同じ信仰を持った仲間たちと活動や話をしていると自分には価値があると思える。

実際、目の前にいる彼女は3年前までとはずいぶん違ってハツラツしています。

心の弱った時に支えとなるもの

彼女の場合、自身の大病の経験や、両親の死、というとても辛い時期が信仰心が強くなった時期と重なります。

あぁ、その辛い時に私は彼女をサポートできなかったんだなぁ。

彼女を救ったのは、夫でも友人でもなく、信仰だったのです。

その信仰は彼女の心の隙間を埋めてくれるものだったんだね。

友人って何だろう・・・。

彼女は、信仰心を話し、勧誘します。

私は話をはぐらかしたり、トイレに立ったりとあからさまに態度にしましたが、私が拒否していると通じているかは不明です。

私は友人だと思っていたけど、彼女はそういう感覚ではなかったのかな、とちょっと寂しい気持ちになった日でした。

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Posted by カトラ