不登校の「終わり」っていつだろう
こんにちは。看護師、健幸アンバサダー、50代主婦カトラですプロフィール。
我が家の次男くんは2023年4月から高3生、大学受験が目前の壁。
一方で私は「また来るかな?」と不登校の再発(?)を常に心配しています。
なぜなら、中学2年から卒業まで不登校だった次男くん、高校入学後2年間は不登校の気配はなし。
もう不登校はないのかな?また来るのかな?この壁のような不安はいつ終わるのかな?
そもそも不登校の終わりってあるんですかね?
今回は、「不登校の終わり」について次男のケースから考えたことをまとめました。
お子さんの「不登校」と向き合っている保護者さんが、私たち家族の体験を読んで少し先を知り”先が見えない不安”を小さくできたらと、期待しています。
次男の不登校
中学2年になった2019年4月、新しいクラス、新しい担任。
3週間頑張ったのですが、ゴールデンウィーク直前に力尽きました。
「学校へ行きたくない」と言われた私は焦り、すぐ担任に相談へ。
が、実はこの担任こそ、次男くん不登校の元凶だったのです。
幸い、私たち夫婦はすぐにそれに気が付き、意見が一致。
「あの担任のクラスに行く必要はない!!」
「家庭訪問」と「相談をした時」の2回しか対面していない担任ですが、「人間として信頼できない人」と私の心に警鐘が鳴りました。夫に至っては、電話で話しただけですけどね(笑)。
不登校の原因
子どもが「学校へ行きたくない」と言い始めた時、親は戸惑いますよね。そして「なぜ?」と理由を聞いてしまいます。たぶん、保育園、小学生のお子さんは心うちを明確な言葉にできないし、中学2年生の次男もはっきりした理由は言いませんでした。
もう限界。
学校へ行きたくない。
親は「不登校」や「学校へ行きたくない」には理由があるはずだと思い、それを明らかにしようとします。
おそらく不登校の原因や理由を知りたいのは、「原因を解決したら、元に戻る(学校へ行くようになる)」と期待しているからなんですよね。
次男の場合、本人は言わなかったけれど、私たち夫婦が元凶を早々につきとめたので、「原因探しという無駄な時間」を浪費せずに済みました。
当時はわかりませんでしたが、今思うと、「不登校の原因や理由を見つけること」には大した意味はない、解決に役立つわけじゃない、ということです。
結果的に、次男の中学不登校を経て私が理解できた原因や理由といえば
「次男くんのクラスは担任も生徒も異常。次男くんはいつもまともな感覚の持ち主だった」という程度のことです。
中学校はすでに「ふつう」ではない
私も夫もそれぞれ地元の公立中学へ普通に通いました。おそらく、日本中に”校内暴力”吹き荒れた世代のちょっとあとの頃です。
それでも、中学校へ行くことが普通で、高校進学を目指したり、社会に出るための訓練の場だからと我慢して、「いじめ」もあったけれど行っていたし、それなりに楽しい思い出もあります。
しかし、それは何十年も前の昭和世代中学校の印象。今の時代、少なくとも次男のクラスはあの頃の中学校とは変わっていました。実は、担任は58歳の男性で私に近い年齢でしたが、私たちの昭和世代の頃とは全く違う別モノのクラスを作り出していました。
「いじめ」は”からかい”レベルから陰湿レベル、そして傷害でしょと思われるものもクラスに「ふつう」にあります。標的にされないよういじめに賛同するか知らんぷりするしかないし、クラスが心落ち着く場所でないから常に緊張。クラスメートは信頼できないし、いざというときに助けてもくれない。そこに居るためには自分の大事なものを押し殺すような心をなくした状態になるしかない。考えず、バカ騒ぎして楽しいクラスだと思い込む。
担任といえば、「問題がないクラス」という評価が大事だから、「いじめ」を無かったものにするためにいじめ生徒と保護者に「「死ね」のメモを書いてひとの机に入れてないですよね?いじめしてないですよね?(もっとうまくやれ)」と表面的指導しかしないし、「いじめ」を訴えた生徒には「それは君がそう思っただけだよね?事実はちがうよね。」と握りつぶす。
ここで言いたいことは、「異常」というのが「いじめ」の有無とか希薄な人間関係ということではありません。
「心をなくした状態」でないと居られないクラス、になっている、ということです。
今の中学校へ普通に行くためには「心をなくした状態」に慣れる必要があるんです。
一方で、そういう「心をなくす学校」へ行けないと言う子というのは、実は、まともな心を持っている子、といえるんですよ。
実際、私も次男が心が弱い子とか、辛抱や我慢できない子とか、社会に対応できない子などと、感じたり思ったりしたことがありません。
むしろ、人間としてかなりまともに育っていると思っています(親バカ^^;)。
中学校における協力者探し
さて、次男くん、次はどうする。
将来の夢とか、
何したいとかはないけど・・・
高校へ行きたい。(普通科)
私たちがしたのは「学習の場」探しです。
結果的には同じ中学校内の中間教室(元のクラスに戻るための準備教室?)に通うことにしました。
次男と同じクラスの不登校は5人(も)いましたし、他のクラスからも数人いました。
全く自宅から登校しない子もいました。
こんなにまともな心を持った子たちがいるんだぁ、という感じです。
さて、中学校は登校していなくても卒業はできます。
ただ、その場合、通知表は「1」のオンパレード。
次男は、高校入試を前提とした登校ですから、一番気になるのは「学習保証」と「内申書」ですよ。
主に私は教頭と話し合いを持ちましたが、もちろん市教育委員会にも相談しました。
具体的には「子どもたちは学びたいし、学ぶ権利がある。その準備をしておくことは中学校ができること、すべきことでは?」と主張し、「登校日数」のカウントのし方、「評価視点と評価方法」など細かいところまで、全教科の洗い出しをしてもらいました。通知表にある評価項目のさらに細かい感じ。例えば、音楽や体育などは筆記と実技の個々の試験結果で評価するけれど、加えて普段の授業中の参加状態など全体の中で評価する視点もある。数学や国語は毎日の提出物が評価対象になっている、理科のこの単元は理科室での実験が必須、などです。実際に不登校生徒が増えていて、次男一人だけのためではなく3学年をあわせると数十人の不登校生徒のためになるという現実があったから先生方も動いてくれたのだと思います。
つまり、不登校の生徒さんたちの通知表はたいがい「1」、よくて「2」でしたが、その評定の根拠を明確にしたことで、次男自身が何をしたら「1」から「2」、そして「3,4,5」にできる可能性があるのか、を理解できたのです。
毎日の提出物は忘れない、音楽で独唱テストを受ける、この理科のコマはクラスに戻って実験してくる、など、次男なりに努力していました。
中学3年生になると、この中間教室数人だけの授業を自身の空き時間に実施してくれる教科担当の先生もいました。
ここの子たちに授業するのは楽しい。
みんな一生懸命だから。
コソコソ登校
不登校になると、同じ敷地、校内にある中間教室へ行くことはOKだけど、それを知り合いに見られたくない、とか、近所の人や近所に住む友人にも見られたくないと言って引きこもりがちになるなど、人の目をものすごく気にすることがあります。
次男も通学経路を変えていましたし、人が多い時間帯を避けていました。車で送迎していた時期もあります。
人に会いたくないなら、お母さんが車で送るよ。
それがいつからでしょうか、人の目に対するコソコソした態度がなくなっていました。
不思議ですね。
もちろん、私も最初、次男が「教室に行っていない」ということでクラスの保護者から聞かれたり、噂されることが嫌で、学校行事には行かないとかできるだけ人に合わずに済むような行動をしていました。どこか心の奥で「ひけめ?負い目?」のようなものがあったのかもしれません。
次男と同じころからでしょうか、人の目を気にしなくなったのは。
親のせい?
ところで、「不登校の原因探しは時間の無駄」と先に書きましたが、不登校について私が感じているもう一つは「親の育て方が原因」ではない、ということです。
次男と一緒に中間教室で過ごした生徒さんたちとその保護者さんを見ていて実感しています。
子どもに過度な期待をかけているとか、超過保護とか、人と比較しまくりとか、虐待しているとか、特別な家庭はなかったし、むしろ、そういう問題ありそうなご家庭のおうちの子は不登校にはなってなかった(笑)。
どちらかというと、不登校の子どもを持つ保護者さんからは「自分に原因があるのではないか、育て方が悪かったのではないか」という声をたくさん聞いたし、その不安や自分を責める気持ちが大きくなりすぎて、親子関係や夫婦関係が悪くなってしまったのではない?と心配したことはあります。
どんな家庭でどんな育て方をしていても、そしてどんな子どもでも、不登校になりえるんです。
「親の自分に原因がある」と考えすぎるのは、不登校解決には役立ちません。
逆に、我が家にとって次男の不登校は、親子関係を見直すよい機会になりました。
私は、次男にどうなってほしかをすごく考えました。答えは簡単、幸せに暮らしてほしい。
十年後、二十年後も、一緒に笑いあえる親子関係でいたい。
できれば、「孫」を抱っこさせてほしい。
これって、
(行きたくない)中学校へ行かなくても叶うんじゃないかな?
今ムリに行かせたら、次男くんとは信頼し合えないだろうな。
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一人で抱え込まない
「担任」を一人ではなく複数制にするとか、私たちが希望したこと全てに対応してもらえたわけではないですが、公立中学校でいろいろ対応してもらえたことは感謝です。
担任とは卒業するまで離れることはできませんでしたが、日ごろの距離は大きくとっていました(笑)。
「担任」を信頼できない関係性の中で、実際、高校進学の内申書などに不利なことがありました。
しかし、次男は「担任」への恨みつらみなど、当時から何も言いません。
不登校で苦しい時に、私には相談できる場があり、市教育委員会、教頭、フリースクールの方、保護者仲間、教師をしていた友人などいろいろな角度からサポートをしてもらいました。
そしてまた、次男自身には、不登校仲間、部活仲間や兄がいたし、逃げ場所としてはオンラインゲームなどもあったようです。
いずれにしても私たち親子だけで抱え込むこともなかったし、むしろ不登校仲間を巻き込むことで自分たちの居場所づくりをしたなど、普通では得られないものを手に入れたと思っています。
「不登校」になると進学できない、就職できない、人生が終わるとか、引きこもりになるとか、根拠のない言い回しで当事者を不安にさせますけど、我が家の場合、「不登校」から得たものがたくさんあったなぁと思っています。
・高校へ行きたいという気持ち、親子関係の見直し、仲間づくり、学校組織を変えること、小さな卒業式・・・本当に楽しい2年間でした。
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不登校は終わった?
中学を卒業し、高校へ進学してから次男はふつうに毎日登校していきます。
見た目はどこにでもいる普通の高校生です。
いや、普通に見える高校生たちも心の中はしんどさを抱えて、張りつめていて、何かのきっかけさえあれば「不登校」になるかもしれないのです。
私は「もしかしてくるかもしれない不登校再発」に不安を持っているのですが、初発も再発も可能性はあるってことです。
そうでした、繰り返しになりますが、
どんな家庭でどんな育て方をしていても、そしてどんな子どもでも、不登校になりえるんです。
あらためて考えると、再発が不安だぁ不安だぁ、と自分を追い込んでいるけれど、楽しい経験もしたじゃない、だから「不登校」ってそれほど不安に思わなくてもいいんじゃないかな。そうこうしているうちに目の前にいる次男くんの楽しい子育ての時間が終わっちゃうよ。
目の前の子どもとの時間を大切にしたいと思います。
目指せ孫ちゃん抱っこ!!
まとめ
「不登校」が始まった保護者さん、「不登校状態」にある保護者さん、不登校は終わるのかそしていつ終わるのかを知りたい気持ちはよくわかります。
「不登校の終わり」は「学校へ行くようになること」、ではないことは確かです。
おそらく、不登校は終わるといえるけれど、再発の可能性はあります。
「不登校」の解決に「原因探し」や「責任者探し」は必要ありません。
「不登校」は本人がどうしたいのか、そして保護者として子どもにどういう人生を送ってほしいか、どうなってほしいかを考えるいい機会です。
親子関係が変わります。
親子の信頼関係が再構築できます。
「不登校」はいろいろな人たちとの出会いのきっかけや世界を広げる機会を与えてくれます。
今回は書きませんでしたが、「不登校」は個人や家族の問題ではなく、「社会」の問題だと思っています。いいかえれば現在の「学校」が生み出した社会問題です。今や「学校とか教育システム」の在り方を変更すべき時が来ていると考えます。
そして、コロナ禍のオンライン授業などを通して解決策が見えてきているような気がします。
オンライン授業を受ければ、「登校」しているってことになるわけで、「学校へ行かない」ことは問題でも何でもない。
「不登校」は、今の学校システムにしたら「問題」というけど、システムが変われば「問題」ではなくなる、そう思いませんか?