オレはゼロだから
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我が家の息子たち、それぞれの個性が光っています。
体格は、肥満型とやせ型。
性格は、ずぼらと几帳面。
まっいっかと切り換えができる兄と、悲観的な不安にとらわれ続ける弟。
無計画な兄と計画的に物事を進める弟。
国語が得意な兄と理数が得意な弟。
「足して二で割るとちょうどよい」のでは?
次男にそういったところ、「いや、オレゼロだから」と返答。
「ん???????」
ちょっと考えさせられた返答だったので、ご紹介します。
足して二で割る
あらためて「足して二で割る」の意味を確認しました。
両者の特徴を同程度ずつ取り入れて一つにまとめる。
デジタル大辞泉
複数のものの中間的な性質を考えること
類語: 均一化する ・ 足して2で割る ・均す ・均一にする ・平均化する ・均等にする ・ 平均する ・ 均等化する
Weblio類語辞書
私は、「足して二で割る」という意味を間違えてとらえていました。
極端なたとえ話ですが、
「国語100点で数学0点の兄」と、「国語0点で数学100点の」を足して二で割ると
「国語100点、数学100点をとる優秀な子」が二人できる、というイメージでした。
そうではなく、
「国語50点、数学50点の子」が二人になるということでした。
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ケンタウロスは足して二で割った???
2つの特徴を併せ持つものとして思い浮かべるのが、
人魚姫やギリシャ神話のケンタウロスなど。
どちらも顔や頭を含む上半身が人間で下半身が魚や馬、というもの。
どちらも人並み以上の能力を手に入れた姿であるが、それゆえの悲哀もあるイメージ。
さらに、残った方はどうなっている?
つまり、人間の下半身と、魚や馬の上半身・・・。
魚の顔やひれをもち人間の下半身とか、馬の顔で人間の足。。。。
なんとも・・・・ 想像すると恐ろしい姿ですが 。
ケンタウロスは足して二で割ったのではなく、生まれた時からあの姿、と信じた方がよさそうです。
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兄弟の比較してました
息子たちの異なる個性に気が付いているからそれぞれのいいところを認めている気になっていました。
だからこそ、「足して二で割ると、それぞれの良い面が補い合って、さらによくなる。」と思っていました。
しかし、解釈が間違っており、おそらく息子たちに間違ったメッセージを送っていました。
兄弟の比較と没個性
つまり、それぞれの良いところを認知しているつもりが、兄弟を比較していたことになりますし、
ましてや、足して二で割ってちょうどいい、なんて言っていた私は、
個性がまるっきりない同じタイプの子供、しかも子供らしくないバランスがとれた息子になってほしいと
伝えていたことになります。
いやぁ、そんな息子たちだったら、正直つまらないですよ。
それぞれが違う個性があって、おもしろいし、お互いが自然とサポートしあっている。
均等化した二人だったら、おもしろみのない生活だろうな。
とりあえず、今、気が付いてよかった。
もう絶対、足して二で割る、なんて言わないぞ。
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ゼロという概念
話を戻します。
なぜ次男が「オレはゼロだから」といったのか。。。
・・・・(ささいなことを心配してぐちぐち言っていたので)
そんな小さなこと気にする必要ないよ。
まったく・・・・
お兄ちゃんとあなたを足して二で割れば、もっとラクに考えられるんじゃない?
オレはゼロだから。」
どういうこと?
何もいいところがないってこと?
そうじゃなくて。
俺とお兄ちゃんは融合できないってこと。
ゼロが数字じゃない「ゼロ」ってこと?
だから、お兄ちゃんと足して二で割る数学的なことができないってこと?
うん、まあ。
お兄ちゃんの生きている世界とオレの世界は違うってこと。
ゼロは0?零?
日常的に何気に私たちが使う「ゼロ」ですが、その意味するところや使われ方は状況によって様々です。
ここでは、哲学的・精神的な観点等からの意味合いではなく、あくまでも実用的な観点から、「0(ゼロ)」が使用されているケースを整理します。例えば、以下のようなもの。
(1)何も無いことの表示
「零、レイ、ゼロ」は「無」「空」という意味で、何も無いことを表すとき。
ただし、漢字の「零」の由来は「静かに降る雨」だそうです。。。。
(2)各種の数字の起算点
「0(ゼロ)」は各種の数字で表される事象等の起算・基準点としても使用します。
時刻、場所(緯度・経度・高度)、距離、各種の科学的な数値(温度、重量)等数多くのケース。
この場合には、起算・基準となる「0(ゼロ)」が、いつ、どこで、どのような状態等を意味しているのか、を明確に定義しておく必要がある。 例えば、グリニッジを0度とした経度。水が凍る摂氏0度。
数学の得意な次男は
次男にとって「ゼロ」というのは、数学的な意味で使っているようです。
そういえば、息子たちから小学生の時、「0」という数字の扱いを問われたことがありました。
長男は「マイナス」の考え方ができませんでした。
つまり「0」を基準点ではなく、「0」を「零」と捉えていて何もないところからさらに「減っていく」なんて考えられないようでした。
一方、次男は、 加減乗除(+-×÷) の「0」の扱いに興味を持っていました。
「0」はそれを他に加えても引いても、値が変わらない数。
一方、×(かける)と相手を「0」にしてしまう・・・
ただし、考え方として「0」によって相手を台無しにするのではなく「変わらない」ままじゃん、の再認識。
例えば0×2=0は、何もない「0」を2倍しても何も増えないから変わらずに「0」
2×0=0 は、「2個入り」のリンゴが「0」パックあります、って最初からないってことじゃん
だから変わらず「0」
そして「0」で数字を割ることはできません。
2÷0は数式として存在してはいけないそうです。
この徐算の「0」の扱いは、私は知りませんでした。
2÷0=0と書いてもOKだと思っていたのです。
ダメなんですって。
存在がゼロっ?
いろいろ話すうち、次男としては自分自身の存在が「ゼロ」でいたいと思っているようでした。
存在を「ゼロ」とみられたいと言うのは、「存在感がゼロ。居るのか居ないのかわからない。」ということではなく、
周囲の人たちに何も影響を与えない、フラットな「0」のような存在だとゆうことのようです。
相手の領域を侵食とか侵略とかダメージを与えないよ、というような。
人の目を気にする今どきの思春期男子の考え方?
あるいはいかにも、人間関係に問題あり的な考え方でしょうか。。。。
確かに次男は「オレがおれが」という顕示欲はないし、「オレだけ特別」の自己中でもない。
0から進め
「0」をそれ自体に意味があるものとして捉えている次男の考え方はおもしろいとおもいつつ
親としては「0」から進んでね、と思ってしまいます。
進むと言えば、次男の名前には「之」の漢字を入れました。
「之」には、ここからまっすぐに歩みを始めるとか、前進という意味があるからです。
前進して前進して・・・遠くに行っちゃったらさみしいなぁ、と思いつつ・・・
自分の道を自分で進み始めてくれたらいいなぁと願っています。
一方、そういえば、長男には「来(くる)」という漢字で名前を付けました。
おぉ
我が家の息子たちは「いったりきたり」するのかもしれません・・・・。
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